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【「麒麟がくる」外伝】織田信長にとって明智光秀は天下獲りのために「便利な男」だった (1/2ページ)

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀は、居城の明智城(=現在の岐阜県可児市にあった)を落城寸前に脱出した。当時の城代・叔父の光安(みつやす)から明智家再興を託されたからである。光秀は城を出て各地を転々し、やがて越前(同・福井県)の朝倉義景(よしかげ)のもとに身を寄せる。

 こうした日々はほぼ10年続いた。この時期に、たまたま同じ朝倉家に身を寄せていた足利義昭と出会い、光秀の人生の新しいステージの幕が上がる。その時期、光秀は将軍家や公家、有力武将、一流文化人らとの交流を通じて「独自の才能」を涵養(かんよう=ゆっくり育てること)し、人脈を築いていった。

 朝倉屋敷で出会った義昭は室町幕府の次期将軍を熱望しており、その後ろ盾に大大名の朝倉義景を恃(たの)み、一緒に上洛を働きかけていた。が、その気のない義景は一向に動かない。その経緯を近くで見ていた光秀は「織田信長を頼ってみては」と提言する。

 当時、信長は勢いのある成長株だったが、光秀が信長を推薦したのは、信長が、単に「いきのいい若手」だったからだけではない。彼にしてみれば、「信長は親戚」という思いが、心のどこかにあったのではないか。

 例によって、これもあくまでも「説」にすぎないが、「美濃国諸旧記」によれば、「信長夫人濃姫と光秀はいとこ同士」と記されている。急に接近してきた光秀の言葉に乗ってみようと信長が思ったのは、それまで、何かの折にひょっとして妻の「帰蝶(濃姫)」から、その間柄を聞いていたからかもしれない。

 京都は義昭・信長双方にとって、片や「将軍」になるための、片や「天下人」になるための共通の「憧れの地」であった。義昭は1568年秋、信長に付き添われて念願の上洛を果たす。2人は大喜び。橋渡し役をした光秀は、義昭から扶持をもらいながら信長からも「家臣待遇」を同時に受けるという、極めて珍しい「両属状態」がしばらく続く。

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