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【吉田茂という反省】天皇は「象徴」であるゆえに「元首」でなければならない 東京大学法学部の教授たちの憲法学は“不完全” (1/2ページ)

 東京大学(旧・東京帝国大学)法学部の教授連が昭和29(1954)年、総力を挙げて日本国憲法に対する解説を行ったのが『註解日本国憲法(上・下)』(有斐閣)である。B5版で、本文1513ページの大著である。

 この解説書では、占領軍に過剰に迎合し、そのために帝国憲法からの断絶を強調し、天皇の地位を貶めようとしているように感じる。

 すなわち、天皇は「象徴」であるという規定から、「天皇は象徴であるゆえに元首ではない」と解説しているのだ。ならば、誰が日本国の元首か、そのことには言及していない。憲法学として不完全である。

 人類の文明としての、法の支配、すなわち法治主義にはいくつかの厳格な原則がある。例えば、実行時に適法であった行為を、事後に定めた法令によって遡(さかのぼ)って違法として処罰できない「遡及(そきゅう)禁止の原則」などだ。こうした中に、ある法律が改正されたときには、できるだけ旧条文に近づけて解釈、運用しなければならないという原則がある。

 日本国憲法は確かに、大日本帝国憲法が本来に予定していた改正の憲法ではないが、大日本帝国憲法の改正手続きを踏み、天皇も承認してできた改正憲法である。だとしたら、解釈、運用は、断絶ではなく、継続性を強調して行うのが正しい憲法解釈であり、運用である。だから、「天皇は象徴であるゆえに元首である」と言わなければならないのだ。

 東大法学部の宮沢俊義教授は「昭和20(1945)年8月15日に革命が起きていた」という、いわゆる「八月革命説」を唱え、断絶を最高度に強調する憲法学を打ち立てた。

 だが、法治主義の大原則に基づけば、この憲法学は最初から成り立っていない。この亜流としての東大憲法学は、憲法学としてやはり成り立っていないと言えるのだ。

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