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【三島由紀夫 50年】さまざまな人を動かした割腹自殺! 三島由紀夫事件の意味 (1/2ページ)

 三島由紀夫事件(1970年11月25日、楯の会隊員4人とともに自衛隊市ケ谷駐屯地=現防衛省本省=を訪れ、東部方面総監を監禁。バルコニーで憲法改正のための決起を促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた)の第1報を聞いて、日本政府や防衛庁(当時)は、「狂ったのか」(中曽根康弘防衛庁長官)と迷惑顔だった。

 以後、学生団体の体験入隊を受け付けなくなった。防衛大学校は保守思想を持つ入学希望者を好まなくなったと聞いている。

 朝日新聞は三島を介錯後に自刃した、「楯の会」学生長、森田必勝の生首を一緒に並べ掲載したためひんしゅくを買った。多くのメディアは周章ろうばいのあと、議会制民主主義を脅かす狂信者というキャンペーンを展開した。

 ところが、巷の意見はまるで違った。

 あれほどの世界的に著名な文豪が命をかけた行動を、軽々しく論評した作家の司馬遼太郎、松本清張らへの反発も強かった。

 「見事に散った桜花」(作家・文芸評論家、林房雄)

 「精神的クーデター」(作曲家、黛敏郎)

 「事件の夜の雨は日本の神々の涙」(文芸評論家、保田輿重郎)

 「分からない、わからない、私には永遠に分からない」(評論家・翻訳家・劇作家、福田恒存)

 などと、いまも記憶が鮮明な名文句の数々。

 新聞とは異なり、雑誌は特集、別冊、増刊を出した。ほとんどが売り切れ、週刊誌は三島の特集を組めば売れると言っていた。

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