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李登輝氏死去 靖国で「涙が出ます」 東日本大震災の被災地にも足運ぶ (1/2ページ)

 台湾民主化の父、李登輝氏が97歳で亡くなった。日本統治時代の台湾で生まれ京都帝国大(現京都大)で学び、「私は22歳まで日本人だった」と語るほどの親日家だった李氏。その根底には、日本から学んだ「日本精神」があった。2000(平成12)年に台湾の総統を退任して以降、計9回にわたり来日。俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き、東日本大震災の被災地にも足を運ぶなど、日本を愛し続けた人生だった。

 1回目の訪日は平成13年。岡山県倉敷市の病院で持病の心臓病の治療を受けた。16年末から17年にかけては、日本統治時代の台湾で治水事業に活躍した八田與一(よいち)や尊敬する哲学者の西田幾多郎の出身地である石川県や、自身が通った京大のある京都府などを巡った。

 19年には、かねて念願だった「奥の細道」を探訪。芭蕉も参詣した宮城県松島町の瑞巌寺(ずいがんじ)を訪れ、日本三景の一つ、松島を見て「松島や 光と影の 眩(まぶ)しかり」と自作の句を詠み、後に句碑も建立された。

 このときの滞在では、先の大戦で日本人として出征しマニラで戦死した兄がまつられる靖国神社(東京)に参拝。「62年ぶりに兄に会えて、涙が出ます。温かい気持ちになりました」と、思いを語った。

 20年に沖縄県を訪問した際には、仲井真弘多知事(当時)などとの昼食会の席上で尖閣諸島(同県石垣市)を「日本の領土」だと改めて表明。21年には、「台湾の民主化と政治改革に大きく影響した」と語った幕末の志士・坂本龍馬の故郷、高知県などにも足を伸ばした。26年には大阪府、東京都、北海道を訪れた。