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【ジュリア・ミント プーチンの国より愛を込めて】ロシアンポップとブリットポップ (1/2ページ)

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆さま!

 それは先日、ロンドンに住む私たちの音楽仲間であるデビッド・ブラントとチャットしているときでした。

 「ジュリアは僕らのようなヨーロピアンスタイルのダンスミュージックを作って英語で歌ってるけど、君の国のポップスはどうなの?」

 私にとってのデビッドは曲をミックス&マスタリングしてくれるサウンドエンジニアですが、彼の本業はイギリスのみならず有名なK-PopやC-Pop(チャイニーズポップ)アーティストにも楽曲を提供するソングライターです。ソングライターとしての興味から質問してきたデビットは言葉を続けました。

 「僕はロシアンポップについてはほとんど知らないんだ。でも、あの大論争を巻き起こしたレズビアンのデュオ、タトゥは知ってるけどね」

 タトゥ(t.A.T.u)は、現在でも海外で最も成功を収めたロシアのポップグループでしたが、その栄光の期間は短く、10代の女の子同士が愛し合うステージやコンサートをドタキャンするお騒がせぶりは、彼らのPR会社の戦略の一部だったことが今では知られています。

 ちなみに、ロシアンポップの歴史はソビエト時代の60年代からといわれていますが、アーティストが検閲なしで自由に音楽制作できるようになったのはソ連崩壊後の90年代初めからでした。

 それが音楽シーンの拡大につながり、次々と新しいアーティストが新生ロシアに登場しました。