【ジュリア・ミント プーチンの国より愛を込めて】どんな時代でも前を向いて生きる (1/2ページ) ジュリア・ミント プーチンの国より愛を込めて
ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆さま!
今回は90年代のウラル地方と私の幼少期のお話の続きです。
私の町でも多くのティーンエージャーが麻薬中毒に苦しんでいましたが、麻薬の蔓延(まんえん)は当時のロシアのあちこちで問題になっていました。
私が6歳の時、13歳年上の長姉が19歳で地元の幼なじみの軍人と結婚して新郎が駐屯するグルジア(現ジョージア)のロシア軍基地へと旅立って行きました。その時のことは昨日のように覚えています。
こちらでは結婚式の前に、ウエディング用にデコレートされた車を連ねて近所を回るお披露目があります。当時私たちが住んでいた5階建てL字型のアパートメントの中にすっぽり入るような大きな庭に花婿が花嫁姿の姉を連れてやってきたときには、全ての住民が窓を開けて彼らの門出を祝福しました。
その後は私たち子供が花嫁のそばに群がると、花嫁が子供たちに向かって大量のキャンディーを投げる一連の儀式へと続くのです。
とにかく、みんな結婚式が大好きでした。町の人々は90年代の困難な時代の中にあっても、そのようにしてたくさんの結婚式を見送ってきました。
でも、こうした祝いの場には必ず酔っ払いがいて、いつかなど興奮して3階から飛び降りた人を見たこともありました。幸運にも彼はいくつかの骨折ですみましたが…。
他にも飲酒してはけんかして警察沙汰になっていた若い夫婦の奥さんの方もカッとなるとよく2階から飛び降りていたのを覚えてますが、彼女はなぜかいつも無傷でした(笑)。