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【富坂聰 真・人民日報】新型コロナ、武漢から1年 教訓は「隠蔽」か「抑制」か 感染対策のコントロールタワーはどこで誰が… (1/2ページ)

 武漢で不可解な肺炎が流行し、その後、新型コロナウイルスの感染拡大へと発展した騒ぎから1年が過ぎた。

 1年前、コロナの問題をこの連載で取り上げ始めたとき、この歴史に刻まれる-一説には2000年に1度-感染症との戦いについて、その最初の舞台となった武漢のことを「おそらく日本人は何も知らないまま過ぎてしまうのではないか」と危惧したが、現状はまさにそのとおりになっている。

 中国の経験を「あれは独裁国家だからできること」と切り捨てず、真摯(しんし)に向き合っていたら今日のような体たらくに陥ることはなかったはずだ。

 習近平国家主席が「人民戦争」と呼びかけた戦いは、大別すれば戦力の逐次投入か、全力投入かに分かれる。

 全力投入の代表が中国やベトナム、韓国、台湾、シンガポールなどで、おおむね対策が奏功している。一方の端にいるのがアメリカや日本。そしてヨーロッパがその中間という位置づけだ。

 この区分けにはアジア圏と欧米圏という軸も存在し、日米の間にはそこで一線が引かれるため、被害はこの程度で収まっている-あくまで現在に限られるが-のだと考えられる。

 12月8日には日本の各メディアが「1周年」というくくりで現地からリポートしたが、どの番組も同じような切り口だったのは相変わらずだ。

 いわく、武漢は落ちついていて感染対策の有効性は認めなければならないが、それでも言論弾圧がひどくて隠蔽(いんぺい)体質は相変わらずだ、と。そして感染源としての批判をそらすため市民ジャーナリストを取り締まってるというのだ。

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