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竹島の日 アシカ猟を歪曲した絵本 韓国の奇妙な歴史戦 (2/3ページ)

 鳥取藩から江戸幕府に提出された1696年の絵図からも日本人とアシカの結び付きがわかる。島を構成する女島(東島)の海岸に小屋があり、近くの入り江に「船すへ場」と記述。地図を所蔵する鳥取県立博物館は「大谷・村川家が小屋を拠点にアシカ猟をし、竹島で経済活動を行っていたことが分かる」と指摘する。

 アシカ猟は1900年代に本格化したが、過当競争となり、島根県に編入された1905(明治38)年以降、猟は県の許可制に。その後も乱獲が防げず頭数が激減したため、昭和に入ると動物園やサーカス向けに年間20頭前後を生きたまま捕獲するようになった。隠岐の島町の池田京子さん(90)は、小学生のころ同町の港近くでアシカが木製のおりに入れられているのを見たという。

 竹島のアシカ猟は先の大戦直前に中断した。韓国が海洋警備隊を常駐させるようになった1958(昭和33)年に、竹島には200~500頭のニホンアシカが生息していたというが、1975(同50)年を最後に目撃情報は途絶えたままだ。

 ■「残忍さ」を強調

 一方、韓国で「独島(トクト)」と呼ばれる竹島をテーマにしたソウルにある展示施設「独島体験館」では、竹島の巨大模型が鎮座するブースのスクリーンにアシカのキャラクターたちが映し出され、「われわれの領土を守る」と来館者に向けて訴えかける。

 展示板では、竹島に生息していたアシカについて、日本統治時代に「日本の漁業会社によって毎年数千頭が乱獲された結果、個体数が急激に減少。1970年代以降は観測されておらず、絶滅したとされる」と説明されている。