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【日本の元気 山根一眞】たくましく復興へ歩む被災地・大指のいま 10年は過ぎたが、復興はまだまだ途上 (1/2ページ)

 東日本大震災から10年の2日前(3月9日)、三陸海岸沿いの漁村、宮城県石巻市北上町十三浜大指(おおざし)を訪ねてきた。

 リアス式海岸の小さな漁村だが、巨大津波で作業場も住宅も壊滅した。被災直後は食料も乏しく、赤ちゃん用の粉ミルクも不足していた。この大指に陸路救援で入った医師から、「見捨てられた被災漁村がある。行ってあげてくれないか」と言われ、私が大指に向かったのは被災の3週間後だった。

 不足しているという野菜数箱などをクルマに積み一人で訪ねたが、がく然とした。約180人が避難所生活をしていたため、私の支援品の量は情けないほど少なく、これでは単なる自己満足にすぎないと恥ずかしい思いがした。

 現地では、被災地を狙った泥棒が出没しているという噂(デマ?)があった。漁師さんたちは夜、避難所外のテント内にがれきから集めた材料で薪ストーブを自作。かつて使っていたワカメ出荷用の木箱をばらし、燃料にして暖をとりながら、寝ずの番を続けていた。

 そこで酒(支援品?)を酌み交わしていた漁師さんたちの輪に加わり、私は被災前と被災後の大指の日々の物語を聞いた。

 彼らは追い炊き可能風呂まで作りあげていた。燃料は漁船に残っていた燃料油を抜き取り、水はワカメ加工用の大きな水槽をフォークリフトに載せ、山の湧き水を日々運んでいるというのだ。漁師は「ものづくり」の技があるのだ。都会の被災者なら、ただ悲鳴を上げるしかないだろう。

 大きなエネルギーと知恵を駆使し、たくましく被災後の日々を過ごしていた彼ら。その生き方に感動した私は、この大指が復興を果たすまでできる限りの支援をしようと決心し、今日までに大指に通い続けてきたのである。

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