記事詳細

【東京五輪と角栄の時代】蔵相就任後は“開放経済体制”入りに全力投球 田中角栄氏、IMF総会の打ち上げで「王将」披露 (2/2ページ)

 わが国の決意をにじませた演説であった。

 その後、田中はIMF総会の打ち上げパーティーで、何と持ち歌の一つ、村田英雄の「王将」を一曲サービスした。大蔵省幹部もとより慌てたが、田中いわく、「君、ワシが歌った後、一節ずつ通訳するんだ」であった。幹部が必死の“同時通訳”をしたのは、言うまでもなかった。

 歌が終わると、外国人に「王将」の心が分かるはずもなく、参加者はそろってニヤニヤしていた。だが、IMFのペール・ヤコブソン専務理事のみ、「あの人は将来、大物政治家になるかもしれない」とつぶやいたのだった。

 こうした田中の度胸満点の“一芝居”も手伝ってか、64年4月、わが国は世界で25番目のIMF「8条国」(=原則として国際収支上の理由からは為替管理を行わない国)に移行した。同年、OECD(経済協力開発機構)からの加盟招請を受け、世界で21番目の加盟国にもなった。“国際社会の一員”に向けた一歩を大きく踏み出すことに成功したのである。

 こうした大舞台を踏んだ田中は、秘書にして愛人だった佐藤昭に、こうささやいた。

 「これでワシも天下を目指せるかもしれんぞ」

 そうした中で、五輪開催を前に、池田首相によもやのがん発症が明らかになった。政界は大混乱に陥り、田中もまた新たなハラのくくり方を求められたのだった。 (敬称略)

 ■小林吉弥(こばやし・きちや) 1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年余のベテラン政治評論家。政局分析や選挙分析、田中角栄研究で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『新 田中角栄名語録』(プレジデント社)、『田中角栄 上司の心得』(幻冬舎)など多数。

関連ニュース