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【「青天を衝け」外伝 渋沢栄一と女性たち】母・ゑい「みんながうれしいのが一番」…慈善活動事業の源に (1/2ページ)

 天保11(1840)年2月13日、「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一は「血洗島」で生まれた。何やら「国定忠治・決闘赤城山」みたいなおどろおどろしい名前だが、この武蔵国榛沢(はんざわ)郡(現・埼玉県深谷市)の血洗島は決闘とは関係ない。

 命名由来は、赤城山の大ムカデと日光の大蛇とが争ったときに、その血を洗った場所といった説をはじめ、いくつかある。栄一の生家のすぐ北を流れる利根川の度重なる氾濫で、この地はしょっちゅう土地が洗われた「地、洗い島」だったからという説が有力である。

 この地名は今でも残っている。例えば、栄一の生涯の大親友で、2歳違いのいとこ、喜作と幼いころ、一日中遊んだ諏訪神社近くの交差点の信号機には今もはっきりとその文字が書かれてある。

 この血洗島の鎮守、諏訪神社では、伝統的な獅子舞の祭礼が行われている。栄一も喜作も、この獅子舞が大好きだった。お祭り前には2人して猛特訓をやったという。後年、栄一は実業家として多忙の身になってもスケジュールをやりくりして、必ずこの祭礼の日には帰郷した。毎年、神社最前列で「後輩たち」の獅子舞を見るのが決まりだった。

 そのうち自然に、その最前列には、栄一の「指定立見席」ができたという。この神社の鳥居や社殿の扁額(へんがく)は後年、栄一が揮毫(きごう)しているが、同じような神社が、血洗島から歩いて10分の隣村、下手計(しもてばか)村にもある。これは「鹿島神社」という。ここにもその社殿には栄一が揮毫した扁額が掲げられているが、彼らの幼年時代は、ここも「毎日の大切な遊び場」だった。

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