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【「青天を衝け」外伝 渋沢栄一と女性たち】妻・千代 万事控えめな賢婦人が唯一反抗した手紙 (1/2ページ)

 渋沢栄一の母、ゑいが生まれた「中の家(なかんち)」には男子がいなかった。そこで、武蔵国・血洗島(現・埼玉県深谷市)の名主を勤めていた、当時、渋沢一族の中で最も財を成していた「東の家(ひがしんち)」の当主、宗助の2番目の弟、市郎右衛門を婿に迎えた。ゑいと市郎右衛門の子が栄一で、その栄一の妻が千代である。

 彼女は、前回もちょっと触れたが、隣村の親戚、尾高家の長女だ。彼女の長兄が栄一の人生の師、尾高惇忠(おだか・あつただ)。次兄が剣術家で攘夷の志士、長七郎、弟がのちに栄一の「見立て養子」になる平九郎(=平九郎の妻は、栄一の妹のてい)。

 栄一の父の姉、やへが尾高家に嫁いでいるから、みんな「いとこ同士」。千代は栄一の1歳年下である。

 栄一の大親友、喜作についてもちょっと触れる。彼は前述の名主、渋沢家の長男、宗助のすぐ下の弟、文左衛門の息子である。だから2人もいとこ同士。歳は喜作の方が2つ上。幼児のころからいつも一緒だった。

 2人はともに徳川慶喜の麾下に入るが、やがて幕末、栄一は慶喜の命により渡仏し、喜作は慶喜を守るための「彰義隊」を結成して頭取になる。その彰義隊の軍事抵抗は5月15日の一日で終わる。その後、喜作は箱館(現・北海道函館市)で、榎本武揚や土方歳三らとともに戦ったりした。

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