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【「青天を衝け」外伝 渋沢栄一と女性たち】才覚あり聡明な後妻・伊藤兼子 「『妾生活』は断固拒否!『自分の腕』で生きていく」 (1/2ページ)

 伊藤兼子は、渋沢栄一の後妻である。先妻の千代がコレラで死去したのが明治25(1882)年。兼子との再婚は、翌26(83)年のことだった。最愛の妻を亡くして再婚まで1年。余計な話だが、ちょっと早い気もする。だから、そのいきさつを少し詳しく(=もっとも、陸奥宗光は再婚まで、わずか3カ月だったけれど…)

 兼子の父は伊藤八兵衛。栄一と同じ、武蔵国出身である。栄一は深谷(現・埼玉県深谷市)だが、伊藤家は川越(現・同県川越市)だった。兼子は八兵衛の次女である。八兵衛は油を取引する油会所を設立して大成功。「江戸一番の大富豪」と呼ばれるまでになった人物である。

 そんな大金持ちを父に持つ兼子は「婿養子」をとり、実家を継いだ。次女が跡を継いだのは、八兵衛には女子が4人いたからだ。それにしても、「なぜ、次女が跡継ぎに?」とお思いだろう。これについては、彼女の才覚や聡明(そうめい)さがそうさせたと思うばかりである。

 八兵衛はその後、米国商人との共同事業に失敗し、伊藤家は大没落してしまった。そのことと関係あるのかは判然としないが、兼子は夫と離婚してしまう。実家は没落、夫とは離婚。まさに八方ふさがりの彼女。

 しかし、ここからが彼女の真骨頂だった。兼子の次の逸話は有名である。

 「実家もない。夫もいない。でも、自分はこうした中でも生きてみせる。それも自分の力で生き抜いてみせる。どんないい話でも『妾生活』は断固拒否! 『自分の腕』で生きていく。芸者? 上等じゃあないの」

 彼女は「口入れ屋(=職業周旋業者)」に行き、「そういうわけだから、その段取をよろしく」と頼むのである。

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