記事詳細

【「青天を衝け」外伝 渋沢栄一と女性たち】平岡円四郎の妻、平岡やす 栄一に再婚を決意させ…ずっと続いた彼女への「眩い思い」 (1/2ページ)

 渋沢栄一は、幼なじみの千代と18歳と17歳で結婚した。その生活は四半世紀続いた。その千代がコレラに罹患(りかん)して死ぬ。享年42。呆然自失の栄一は、千代の亡骸を前に立ち尽くす。その栄一が再婚した。それも「1年後」に…。

 何が栄一にそう決断させたのか。もちろん、何よりその再婚相手(伊藤兼子)が素晴らしい人だったのだ。でも、私は栄一の「その決断」の陰に、一人の女性の存在を見る。

 その女性とは、攘夷の志士を目指していた栄一を、徳川慶喜につなげたキーパーソン、慶喜の側近、平岡円四郎の妻、やすである。

 やすは、吉原の売れっ子芸者だった。そのころ、幕府の学校・昌平黌(=昌平坂学問所)きっての秀才でありながら、家を出て長屋暮らし、放蕩(ほうとう)無頼の日々を送っていた旗本の息子、平岡円四郎に見そめられて妻となった。

 結婚後は武士の妻として、かいがいしく夫の世話をした。会話は歯切れのいい江戸弁。互いに厚い信頼で結ばれたおしどり夫婦の交わす、この「ちゃきちゃき会話」を初めて聞いて、栄一は瞠目(どうもく)する。それは、ペリー来航のころというから、栄一、13歳ごろの話である。

 商売見習いのため、父に連れてこられた初「江戸」の雑踏の中でのことだった。人混みの中で男女がふたり。笑顔を交わしながら、歯切れのいい江戸弁で話す光景は、なんだか、とても眩しかった。

 それから10年近くがたった。しかし、神様は時々、粋な計らいをなさる。栄一は円四郎と再会するのである。栄一の言う、「一を聞いて十を知る質」の円四郎と、円四郎の言う、「自分の主張を気後れすることなく真っすぐ述べる」栄一は、心を通わせるようになる。

関連ニュース