今回からは総理大臣になった方々との触れ合いを−。まず、昭和最後の総理で、ふるさと創生1億円や消費税導入などを行った竹下登さん。
1969(昭和44)年、米国デンバーのオートオークション大会を視察した私たち中古車販売業者は、中古車業者の地位の高さに驚き、71年、日本中古自動車販売協会連合会を発足させた。その議員連盟の会長に、竹下さんになってもらった。
竹下さんは当時、佐藤栄作内閣で歴代最年少の47歳で内閣官房長官に就任し、「10年経ったら竹下さん、ズンドコズンドコ」と歌われた若手バリバリの議員。鼻息も荒いと思っていた。
しかし、赤坂の東急ホテルなどで会った竹下さんは、まったく威張らなかった。「国会議員らしくない人柄だな」と思ったことを覚えている。その後、「気配り、目配り、金配りの人」と言われたが、それも納得できた。
竹下さんが88年発覚のリクルート事件で総理の座を追われた直後、リクルートと関係が薄かった宇野宗佑さんが急遽(きゅうきょ)総理に抜擢(ばってき)された。女性スキャンダルで宇野内閣は在任期間69日間の短命に終わったが、この人は俳句やピアノをたしなみ、唄やお座敷遊びも大好きという粋人だった。
以前、この欄で少し触れたが、「美術館を運営して、文化振興に貢献しなさいよ」と宇野さんからアドバイスされたことで、私は麻布美術工芸館を運営することになった。
この美術館に並べた絵画は、当初、宇野さんが連れてきた美術商から購入したもの。3000点ぐらい。5億円だった。
保守派の政策集団「青嵐会」の仲間ということで、自民党の中山正暉さんからミッチーこと渡辺美智雄さんや森喜朗さんを紹介してもらった。
渡辺さんは鈴木善幸内閣で大蔵大臣に就任した当日、初めて会ったのだが、森さんも第2次中曽根内閣で文部大臣として初入閣した直後に初めて会った。安倍晋三首相の父親の安倍晋太郎さんを紹介してくれたのは森さんだ。森さんもよくウチの会社(麻布建物)に遊びにきて、私にいろいろ頼みごとをした。あるとき、「実は安倍晋太郎さんと渡辺美智雄さんは腹を割って話したことないんだ。アンタ、渡辺さんと仲がいいのだから、間に入ってくれ」と言われて実現させたこともある。
皆、総理就任前の若手時代に仲良くなったのだが、ただひとり、田中角栄さんだけは総理の座を降りた後、「目白の闇将軍」と呼ばれた全盛時に会った。さすがに鼻息は荒かった。 (以下7月2日次号へ続く)
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。