横手城 土居削崖に韮を植え敵の侵入防止

★横手城

2014.03.01


横手城【拡大】

 横手城(秋田県横手市)の創建時期は諸説あるが、戦国時代に仙北三郡(横手盆地)を領していた小野寺氏の居城である。小野寺氏は近隣の最上氏、安東氏、由利氏らと抗争を繰り広げ、勢力拡大に努めていた。

 城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐ土止めと、敵がはい登ることができないように韮(にら)を植えた築城であり、韮城とも呼ばれる。

 慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦では、当時の城主、小野寺義道(よしみち)は最初、徳川方(東軍)に従軍したが、後に上杉景勝(かげかつ)と通じて豊臣方(西軍)に寝返った。このため改易となり、弟、康道(やすみち)とともに石見国(島根県西部)津和野に追放される。

 慶長7年、佐竹義宣(よしのり)が出羽国(山形県・秋田県東北部を除く)秋田に入封した。翌年から久保田城(秋田県秋田市)を築くと、横手城は支城となり、城代が置かれた。

 徳川幕府の元和の一国一城令で、秋田藩内の支城も破却されたが、横手城を重要な拠点と考えていた義宣は、幕府に働きかけ破却を免れる。

 慶応4(1868)年の戊辰戦争では、秋田藩は奥羽列藩(おううれっぱん)で、唯一、新政府軍側に付いた。横手城は、仙台藩・庄内藩からなる幕府軍の猛攻撃を受け、同年8月11日夕方、本丸、続いて二ノ丸が炎上し落城する。

 戊辰戦争で戦死した22人の霊を弔うため、明治12(1879)年、焼け残った木材を使って本丸跡に秋田神社が建立された。現在、城跡は横手公園として整備され、二ノ丸跡に昭和40(1965)年、模擬天守が建設される。この模擬天守は東北では最も古い。 =次回は唐沢山城(栃木県)

 【所在地】秋田県横手市城山町29の1

 【城地の種類】平山城

 【交通アクセス】JR奥羽線「横手駅」から徒歩約30分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学客員教授、国際地政学研究所研究員。日本の城郭についての論文多数。

 

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