【世界を驚かせた日本人】フジモリ大統領 テロと戦う姿に「日本の侍」幻視 (1/2ページ)

2014.06.20


フジモリ大統領は、日本大使公邸人質事件を解決し「強い大統領」をアピールした=1997年4月【拡大】

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 1997年4月22日、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領(1938〜)は、国軍の精鋭よりなる特殊部隊に、テロリストが占拠している日本大使公邸への突入を命じた。そこは前年の12月17日以来、極左テロリスト・グループ「トゥパク・アマル」が武装占拠しており、多数の人質がとらわれの身となっていた。

 秘密裏に掘削していたトンネルからの強襲作戦は大成功した。犯人は全員射殺され、日本人24人を含む71人の人質全員は無事に解放された。特殊部隊員2人が戦死したが、最小限の犠牲といえる。人質救出作戦はフジモリの完勝であった。

 緻密にして大胆なフジモリのリーダーシップに、日本のみならず世界は驚嘆と称賛の声を惜しまなかった。そこには、戦後の日本人が久しく忘れていた「闘う指導者」の姿があった。

 フジモリは日本人移民の子としてペルーで生まれた。大学の数学教授、総長を経て、90年の大統領選に全くのダークホースとして出馬し、本命候補を破って逆転勝利を収めた。

 フジモリが大統領に当選した当時のペルーは、トゥパク・アマルなどの共産主義テロリストが国土の3分の1を支配していた。彼らはコカイン・カルテルと結託して、資金源は豊富だった。フジモリは大胆な経済改革でペルー経済を再生させ、テロとの戦いを命がけで進めていった。

 92年には、大統領として自らが軍を率いてクーデターを敢行した。ペルーの犯罪組織は立法・司法・行政の各機関に、暴力と賄賂で深く浸透していた。大なたを振るうには、クーデターで国家非常事態を宣言するしか方法がなかったのである。フジモリの決断は国民の圧倒的支持を得た。世界は「戦う大統領」の中に、日本の侍の姿を幻視したのかもしれない。

 

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