今、話題の映画「テルマエ・ロマエII」で知られるローマ帝国の社会に決定的な打撃を与えたのは、今日のドイツ国家を形成するゲルマン民族の大移動でした。
「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」を謳歌(おうか)したローマ帝国も395年に東西に分裂し、ゲルマン民族の一派である東ゴート族により、476年に西ローマ帝国は滅亡します。
しかし、その混乱を収拾したのも同じゲルマンの国フランク王国のカール大帝で、800年に彼はローマで戴冠し、西ヨーロッパ世界を再統一したことから「ヨーロッパの父」と呼ばれています。そこで、今回はそのカール大帝ゆかりのアーヘン(ドイツ)の大聖堂を紹介します。
この大聖堂は別名「カイザー・ドーム(皇帝の教会)」と呼ばれ、カール大帝の命により宮廷礼拝堂として建てられたもので、814年にカール大帝が死ぬと彼自身もここに埋葬されました。
この建物はイタリアのラベンナにあるサン・ヴィターレ聖堂を模したといわれていますが、ビザンティン様式からゲルマン様式、さらにはフランク王国の様式を兼ね備えたきわめて貴重な記念碑的建造物です。
これはまたカール大帝の時代に奨励された、ラテン語による教育を主軸とした古代ローマ帝国の文化や芸術への復興政策、すなわちカロリング・ルネサンスを象徴するモニュメントでもあります。
カール大帝の死後、フランク王国は分裂しますが、今度はオットー大帝が962年に戴冠し、ローマ教皇により権威付けられた神聖ローマ帝国(ゲルマン民族によるローマンカトリックを奉じる帝国)が成立します。そして以後はドイツ王(東フランク王)が神聖ローマ帝国皇帝を兼ねるようになり、全キリスト教世界にその権限をもつようになります。
この頃から、東フランクの住民は聖職者の使うラテン語と区別して自分たちゲルマン民族の言葉を「ドイチェ(われわれの)」と呼ぶようになり、東フランクを中心に「ドイチェラント」と称するドイツ語圏が生まれたのです。
このアーヘンの大聖堂はカール大帝以後、1531年までの間に30人の神聖ローマ帝国皇帝の戴冠(たいかん)式が執り行われた場所でもあり、まさにドイツ語を話すゲルマン民族の心のふるさとです。
また、ドイツ最西端に位置するアーヘンは、ローマ時代からの温泉保養地です。温泉大好きといわれたカール大帝にならって「カルロステルメ」と呼ばれる温泉プールでドイツ版「テルマエ・ロマエ」を体験されてはいかがでしょうか。
■黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム(株)テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、旅について熱く語る。