武勇に優れながら冷遇され続けた結城秀康 「豊臣家への恩」家康に警戒され (1/2ページ)

2014.09.19


イラスト・奈日恵太【拡大】

 徳川家康の次男として生まれた秀康。実母は家康の側室だが、家康の正室だった築山殿の奥女中を務めていた女性である。家康は秀康をなかなか認知せず、3歳になるまで会おうとしなかった。一説には秀康が双子で生まれ、当時は双子が忌み嫌われていたためだとか、本当に自分の子かどうか疑っていたとも言われる。

 ともかく、長男・信康の取りなしもあり、ようやく親子の対面を果たしている。やがて信康が武田勝頼との内通疑惑によって切腹となり、本来ならば秀康が嫡子となるところ、小牧長久手の戦いの後、豊臣秀吉との和解のために秀康は秀吉の養子に出された。実質は人質であるので、家康はこの次男がどうにも嫌いだったようだ。

 生まれた途端にリストラされたかのような不遇の人生だが、戦場では優秀で、秀吉のもとで九州征伐や朝鮮出兵などに参戦して活躍。後に北関東の名門である結城家の当主、結城晴朝(はるとも)にこわれ、婿に迎えられて後継者となった。関ヶ原の戦いの前哨戦の会津征伐に参加し、家康の命によって宇都宮に留まって会津勢の東上を阻止。その功績により、越前67万石の領主となった。

 しかし、秀康は豊臣家に恩を感じており、家康に警戒された。「秀頼公はわが弟である」と公言しており、家康にとって危険な存在だった。それでも、秀康は徳川家に楯突くようなことはせず、結局は大坂の陣より早く、秀康は34歳の若さで病死してしまう。死因は梅毒であった。

 

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