妙玖と吉田郡山城 正室の菩提寺を城内に築いた元就 (1/2ページ)

★妙玖と吉田郡山城

2015.01.10


吉田郡山城【拡大】

 中国地方の覇者となった毛利元就(もとなり)は晩年、長男、隆元(たかもと)に宛てた書状で、合戦に奔走した自身の人生を踏まえて「妻がしっかりと家を守ってくれるからこそ、自分は安心して外で力を出せるのだ」と告白している。この言葉は、時代が変わっても、男性にとっては理想的な家庭像だろう。

 では、元就の妻はどのような人物だったのか。明応8(1499)年、安芸国(広島県)の国人、吉川国経(きっかわ・くにつね)の娘として生まれた妙玖(みょうきゅう、妙玖は法名で本名は不詳)は19歳のとき、2歳年上の元就のもとに嫁ぐ。政略結婚だったが、妙玖が存命中、元就は側室を持たなかった。

 元就は、吉田郡山城(広島県安芸高田市)を拠点にして、中国地方で勢力を拡大していくなかで、次男、元春(もとはる)を吉川氏へ、三男、隆景(たかかげ)を小早川氏へと次々に養子として送り込み、毛利氏への吸収合併という謀略(ぼうりゃく)に出る。

 妙玖は、毛利一族の結束を固め、合戦と謀略に明け暮れた元就を内助の功で支え、家中を取り仕切る良妻賢母な妻であった。だが、心労がたたったのか、天文14(1546)年、47歳で病死する。

 元就は、妙玖の死がよほどショックだったようで、喪が明けると、隆元に家督を譲って隠居してしまう。

 元就は還暦の年に、隆元、元春、隆景に対して、守るべき教訓「三子教訓状(さんしきょうくんじょう)」を書き遺している。

 

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