大浦氏の娘・阿保良と結婚した為信は、南部氏から独立し津軽地方を奪い取る

★弘前城と津軽氏の基礎を築いた2人の正室(1)

2015.01.17


弘前城【拡大】

 陸奥津軽郡(=青森県西半部)を支配した津軽氏の基礎を語るうえで、2人の女性の存在は欠かせない。1人は、南部(なんぶ)氏から津軽地方独立の合戦を仕掛けた津軽為信(ためのぶ)の正室、阿保良(おうら)。もう1人は、津軽藩2代藩主、信牧(のぶひら)の正室、満天姫(まてひめ)だ。

 阿保良は、岩木山の麓、大浦城(青森県弘前市賀田・五代)を居城とする大浦為則(ためのり)の娘として生まれた。大浦氏は、青森県全域と岩手県北部を支配していた南部氏の枝葉の一族であった。そこに母に連れられてきた少年が為信であり、以後、為則に仕えることになる。

 為信は居候(いそうろう)の身分だが、阿保良とは同い年だったこともあり、しだいに愛し合うようになった。永禄10(1567)年3月、2人が18歳になったとき、為信が婿養子に入るという条件で結婚する。

 すると予想外の事態が起きた。為則が急死したのである。このことが為信にはプラスに働いた。為則には2人の娘がいたが、姉は堤弾正左衛門(つつみ・だんじょうざえもん)に嫁いでおり、妹である阿保良と結婚した為信が、大浦氏を継ぐことになったのだ。

 為信は大浦城主となると、阿保良と力を合わせて策略を練り、南部氏から独立して、津軽地方を奪い取る行動にでる。

 元亀2(1571)年、為信は、南部氏が津軽地方支配の拠点としていた石川城を奇襲攻撃した。賭博(とばく)場にいた、ならず者83人を攻撃要員に加え、石川城下の婦女子に乱暴の限りを尽くさせた。南部氏の兵士が家族のことに気をとられている合間に、石川城陥落に成功する。

 次々と南部氏の支城を攻め滅ぼし、大浦氏による津軽地方支配が強まるなか、天正7(1579)年、南部軍の主力部隊による大規模な反攻が開始された。

 合戦の現場から「弾薬が足りない」という連絡が、城を守る阿保良にもたらされた。城内の弾薬も底をついており、家臣の間に動揺が走る。

 このとき、阿保良は城内にあるスズ類の器物を集めさせて溶かし、弾薬を作り、合戦の現場に送り届けた。すると大浦軍は態勢を立て直し、南部氏の主力部隊を撃退し、津軽地方から南部氏の勢力を排除した。

 為信は、天正18(90)年、豊臣秀吉の小田原攻めが始まるや、家臣18騎を連れ海路上洛し、秀吉に謁見した。念願の津軽地方安堵の朱印状を下付され、大浦氏から姓を津軽氏に改める。 =つづく

 【所在地】青森県弘前市下白銀町1
 【交通アクセス】JR奥羽本線「弘前駅」から弘南バス「百円循環バス」で約15分「市役所前」下車、徒歩すぐ

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

 

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