先日、壬申の乱における大海人皇子の足跡を訪ね、京都の宇治に立ち寄った際、「宇治橋の守り寺」と呼ばれる放生院(橋寺)でご本尊の「地蔵菩薩立像」を拝観する機会を得ました。
つややかな顔と所々に残る鮮やかな緑に彩色された衣が美しく、親しみやすさもあってとても感動を覚えました。しかしこの仏像をよくよく観察すれば、これは立像ではなく、前傾姿勢で右足を少し前に出した歩く姿の仏像でした。
歩く姿の仏像といえば、やはりスコータイ美術の代表とされる遊行仏(プラ・リラー)が連想されます。そこで今回は「幸福の夜明け」を意味するタイ族による最初の統一国家スコータイの遺跡を紹介します。
スコータイ王朝(13〜15世紀)は第3代ラムカムヘン大王の時代に最盛期を迎え、クメール文字を改良してタイ独自の文字をつくり、陶芸を奨励し、南方上座部仏教を取り入れて今日のタイ芸術文化の礎を築きました。
遺跡の中心は東西1800メートル、南北1600メートルの城壁に囲まれた都城で、中には巨大なチェディ(仏塔)をもつ王室寺院ワット・マハータートなど多くの仏教寺院があり、スコータイ美術を代表する各種の仏像が残っています。また、その東側に隣接する宮殿跡からは玉座や最古のタイ文字が記された石碑なども見つかっています。