三春城と愛姫 政宗に嫁いだ矢先の悲劇

★三春城と愛姫(1)

2015.07.04


三春城跡【拡大】

 平安時代初期、東国を平定した征夷大将軍、坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)。その末裔(まつえい)といわれている田村義顕(よしあき)が、永正元(1504)年に築いたのが三春城(福島県三春町)の始まりである。

 田村氏は、戦国期には三春城を拠点に48館とされる要害を擁して、義顕、隆顕(たかあき)、清顕(きよあき)の3代で84年間、旧田村郡の全域を支配していた。

 そして、永禄11(1568)年、清顕の娘として生まれたのが愛(めご)姫だ。当時の奥州地方は、佐竹(さたけ)、蘆名(あしな)、二階堂、相馬氏といった戦国武将らが群雄割拠していた時代で、田村氏は生き残りをかけた合戦を繰り広げていた。

 愛姫の祖父、隆顕は伊達政宗の父、輝宗(てるむね)の妹を妻にしていた。清顕は、伊達氏との同盟を強化することが、お家の安泰につながると考えた。清顕に息子がないため、本来であれば1人娘の愛姫に田村氏を継ぐ養子を迎えるところだが、愛姫を米沢城(山形県米沢市)の伊達氏に嫁がせることにする。

 このとき、清顕は、愛姫が産む長男は伊達氏を継ぐが、次男は田村氏の養子とする条件で、天正7(1579)年11月、12歳の愛姫は1つ年上の政宗と結婚する。

 愛姫は愛らしい顔立ちから、「めんこい=愛らしい」が転じて「愛姫」と呼ばれた。和歌や書道にも秀でた教養の高い女性であったようだ。

 結婚当初、愛姫を不幸が襲う。乳母や侍女たちが処刑という残酷な仕打ちを受けたのだ。愛姫の母が相馬氏の出身だったため、乳母が敵に内通しているのではないかと伊達氏から疑われたことが原因だといわれている。

 結婚から5年後、18歳で伊達氏を継いだ政宗は、奥州制覇に乗り出す。幼いときに疱瘡(ほうそう)を患い隻眼(せきがん)となった政宗は、合戦に明け暮れるなか、皆殺し作戦を取ったり、血縁者が嫁ぐ家でも容赦なく滅ぼす非情さがあった。

 天下統一を目指す豊臣秀吉が私戦禁止令を出しても、これを無視し、領土拡大の合戦を続けた。

 一方、政宗は家庭内では愛姫を尊重し、妻の意向に沿うように行動した。「伊達氏を守る母」として大事にし、2人はお互いを尊敬し合う夫婦になっていった。 =つづく

 【所在地】福島県田村郡三春町大町
 【交通アクセス】JR磐越東線「三春駅」から徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事などを務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)などがある。

 

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