一時の感情ですべて無にした加藤明成 家臣の出奔に怒り収まらず改易 (2/2ページ)

2015.07.24


イラスト・奈日恵太【拡大】

 当の明成は、この時、江戸屋敷にいたのだが、報告を聞いて怒り狂う。藩主を侮辱する主水の行動は許せんと、逃走する主水に追っ手を差し向けた。主水としても、ここまでする以上は覚悟を決めていたらしく、妻子を鎌倉の「縁切り寺」こと東慶寺に預け、自らは高野山に逃げた。

 寺に身柄の引き渡しを求めても当然拒否される。諦めきれない明成は幕府に訴え、双方の言い分を聞くために主水も呼び出された。主水側も「加藤家が幕府への反逆を企てている」などと反論したものの、結果的に明成の訴えが認められ、明成によって主水は処刑された。

 これだけならまだ良かったが、怒りが収まらない明成は、東慶寺にも兵を差し向けて主水の妻子まで殺してしまったのである。治外法権の特権を与えられた寺に攻め入るのは明らかにやり過ぎだった。この会津騒動をとがめられ、加藤家はあっさりと改易させられた。

 その後は、長男の明友が封じられた石見国吉永藩に隠居し、静かに晩年を過ごしている。

 1661(万治4)年、明成は70歳で生涯を閉じた。40万石の大大名から転落したのは、結局は怒りを抑えられなかった一点に尽きる。一時の感情ですべてを失ったその代償は、あまりにも大きかったといえるだろう。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)

 

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