お市の方と小谷城と北ノ庄城 小豆の袋で信長救う

★お市の方と小谷城と北ノ庄城(1)

2015.08.01


小谷城黒金門跡【拡大】

 「戦国五大山城」の1つに数えられる小谷城(滋賀県長浜市)は、浅井亮政(あざい・すけまさ)が大永3〜4(1523〜24)年ごろ、琵琶湖を一望できる伊吹山系の小谷山に築城した。以後、亮政、久政(ひさまさ)、長政(ながまさ)3代の居城となる。

 長政は永禄10(1567)年、織田信長の妹、お市(いち)の方を妻に迎え、織田氏と同盟関係を結ぶ。お市の方はすでに21歳になっており、戦国期としては非常に遅い結婚であった。

 長政とお市の方は浅井氏と織田氏との同盟による政略結婚だったが、2人の仲はいたって円満で、お市の方は二男三女を生んでいる。

 お市の方は「戦国一の美女」と言われただけあり、高野山に残る肖像画は、きりりとした目鼻立ちをして、現存する戦国女性のどの肖像画よりも美人である。美貌をひけらかす女性ではなく、芯は強いが、おとなしい女であったようだ。

 永禄11(1568)年8月、足利義昭(よしあき)を擁して上洛する信長は、長政と佐和山城(滋賀県彦根市)で初めて対面する。信長は、浅井氏の家臣たちに「われら2人で日本国を治めようぞ。おのおの方を大名に取り立てよう」と豪語したという。

 このとき、お市の方も同席し、信長、長政、お市の方の3人は夜遅くまで語りあった。

 しかし、平穏な夫婦生活は長くは続かなかった。元亀元(1570)年4月、信長が浅井氏の盟友である越前国(福井県北東部)の朝倉氏を攻めると、朝倉氏との連携を主張する父、久政と、織田氏との連携を主張する長政とが対立する。

 最後は、父、久政に背くことができず、長政は自らの主張を引っ込め、信長を裏切る道を選択したのである。

 浅井軍は朝倉軍と連携すると、朝倉領に侵入した織田軍を挟撃(きょうげき)しようとした。その際、お市の方が両端を縛った小豆の袋を信長に送り、夫、長政の裏切りにより織田軍が「袋のねずみ」になったことを知らせたため、信長は命からがら脱出することができた。

 お市の方は浅井氏に嫁ぎ、夫、長政に愛されながらも、実兄、信長を救ったのである。戦国の妻は実家からお供した侍女や家臣に守られており、お市の方は、浅井氏の寝返りを、いち早く信長に教えたのである。 =つづく

 【所在地】滋賀県長浜市湖北町伊部
 【城地の種類】山城
 【交通アクセス】JR北陸本線「河毛」駅下車、徒歩で約30分。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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