お市の方と小谷城と北ノ庄城 政略結婚で2度の落城

★お市の方と小谷城と北ノ庄城(2)

2015.08.08


北ノ庄城跡に建つ模型の天守【拡大】

 お市の方の通報で織田信長は命からがら朝倉領から脱出すると、態勢を立て直し、元亀元(1570)年6月、浅井(あざい)・朝倉連合軍と激突する。有名な姉川の合戦だ。壮絶な死闘を繰り返すなか、浅井長政(ながまさ)は劣勢に立たされ、次第に追い詰められていった。

 天正元(1573)年8月10日、信長は約3万人という兵力で長政の領地である北近江に進攻し、次々と浅井氏の拠点(砦=とりで)を落としていく。26日に長政が守る小谷城(滋賀県長浜市)を包囲すると、28日には総攻撃をかけた。

 落城を前に、長政はお市の方に「そなたは信長殿の妹なれば、何の子細もござらぬ。信長殿の許に送ろう。もしそなたが命長らえて残ったならば、我が菩提(ぼだい)を弔ってほしい」といったと『浅井三代記』は伝えている。

 お市の方は、長政の言葉に抵抗した。一緒に小谷城で運命をともにすることを希望したが、長政は認めず、最後は長政の説得に折れた。お市の方と3人の娘たちが無事に織田軍の陣地に着いたのを確認すると、9月1日、長政は自刃した。

 実家に戻ったお市の方は平穏な日々を過ごしていたが、天正10(82)年6月、京都・本能寺で信長が横死すると、再び大きな変化が訪れる。

 織田氏の後継者選びが激化するなか、信長の三男、信孝(のぶたか)が、羽柴秀吉と対立する柴田勝家(かついえ)とお市の方を結婚させたのだ。お市の方には2度目の政略結婚であった。

 勝家との夫婦生活も長くは続かなかった。天正11(1583)年4月、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で勝家軍が秀吉軍に敗れると、秀吉軍は勝家の居城である北ノ庄城(福井県福井市)を包囲する。

 10年前の小谷城と同じように、お市の方は北ノ庄城で再び落城の憂き目にあうことになる。娘3人を城外の秀吉に託すと、お市の方は城に残り、勝家とともに炎上する天守で自刃した。37歳の生涯であった。

 残された娘の中で、お市の方に一番似ていたのが長女の茶々といわれている。茶々は後に秀吉の側室、淀殿(よどどの)となり、秀頼(ひでより)を産む。次女の初(はつ)は京極高次(たかつぐ)に嫁ぐ。三女、江(ごう)は徳川第2代将軍、秀忠の正室となった。

  =次回は国分城(鹿児島県霧島市)と島津家久正室亀寿(かめじゅ)

 【所在地】福井県福井市大手3の10の1
 【交通アクセス】JR北陸本線「福井駅」から徒歩約5分。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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