【戦後70年 沖縄戦の真実】米軍も震え上がった日本軍の強靭さ 16日間の攻防戦 (1/2ページ)

2015.08.19


沖縄戦で、米陸軍師団や海兵師団が上陸した沖縄本島西部の読谷海岸【拡大】

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 昭和20(1945)年3月26日、米陸軍歩兵師団が、那覇の西方に位置する慶良間(けらま)諸島に上陸を開始し、沖縄地上戦の火ぶたが切って落とされた。続いて4月1日、米陸軍師団や海兵師団が、200隻以上の米戦闘艦艇の猛烈な艦砲射撃の支援を受けて、沖縄本島西部の読谷(よみたん)海岸付近に上陸を開始した。

 ところが、日本軍は一発も撃ってこない。米軍は猛烈な反撃を想定していたが、日本軍は沈黙したままだった。日本軍守備隊は、圧倒的物量を誇る米軍をまずは上陸させ、間合いを詰めてから一挙にたたく戦術に転換したのである。

 沖縄戦に投入された米軍の兵力は、洋上の支援部隊を含めると約54万8000人。強力な火力を持つ艦艇約1500隻と、艦載機約1200機、500両を超える戦車、野砲、ロケット砲などを準備していた。

 一方、日本軍は牛島満中将率いる陸軍第32軍など、陸海軍合わた将兵は約11万6400人。戦車や野砲、対戦車砲などの数では劣っていたが、勇戦敢闘し、約10万人の犠牲と引き換えに、圧倒的優勢だった米軍に死傷者約6万5600人もの大損害を与えたのである。日本軍は一方的にやられていたのではなかったのだ。

 上陸した米軍の前にまず立ちはだかったのは、わずか1200人の賀谷興吉中佐率いる、独立歩兵第12大隊、通称「賀谷支隊」だった。上陸後に本島南部に向かった米陸軍2個師団の前進を妨害し、進撃を遅らせる「遅滞戦闘」を展開して、米軍を悩ませ続けたのである。

 

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