江戸城と徳川秀忠の正室お江 11歳で最初の政略結婚

★江戸城と徳川秀忠の正室お江(1)

2015.08.22


江戸城【拡大】

 戦国乱世を生きた女性の中で、お江(ごう)ほど波乱万丈に富んだ人生は珍しい。お江は三度の結婚を経験しているが、慶長10(1605)年、徳川2代将軍、秀忠の正室として、江戸城(東京都千代田区)で最初の御台所(みだいどころ)となった女性だ。

 お江は天正元(1573)年、浅井長政(あざい・ながまさ)と織田信長の妹、お市(いち)の方の間に、三姉妹の三女として小谷城(滋賀県長浜市)で生まれる。

 誕生後まもなく、信長が小谷城を攻めた。落城寸前の同年9月1日、長政はお市の方と三姉妹を信長のもとに帰し、自らは自刃した。お江は父、長政の顔を知らない。

 実家に戻ったお市の方と三姉妹は、信長の弟、信包(のぶかね)の居城である安濃津(あのつ)城(三重県津市)で平和なときを過ごしていた。

 お江が10歳のとき、信長が京都・本能寺で家臣、明智光秀(あけち・みつひで)に討たれる。羽柴(後の豊臣)秀吉が光秀を倒し、後継者争いが勃発すると、お市の方は織田氏家臣、柴田勝家(かついえ)と再婚する。お江も勝家の居城である北ノ庄城(福井県福井市)に移る。

 北ノ庄城での平和な生活も長くは続かなかった。勝家は賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で敗れ、北ノ庄城に籠城するも、秀吉軍に包囲される。天正11(83)年4月24日、勝家とお市の方は、炎上する天守で自刃した。お江たち三姉妹は落城前日、城から脱出し秀吉のもとに送り届けられる。

 三姉妹の中で最初に結婚したのは11歳になったばかりのお江であった。この結婚は秀吉が仕組んだ政略結婚で、相手は尾張大野城(愛知県常滑市)を居城とする弱冠15歳の佐治一成(さじ・かずなり)だった。

 嫁ぎ先としては格が下のように思われるが、一成の母、お犬の方は、お市の方の異母姉で、織田氏の血を引く、いとこ同士の結婚だった。

 一成との結婚生活も短かった。秀吉と、織田信雄(のぶかつ)に味方した徳川家康が争った小牧・長久手の合戦で、一成が家康を助けたことが秀吉の耳に入ったからだ。

 秀吉は、お江と一成を結婚させたが、本当の仕掛け人は信雄だった。一成が信雄に味方した家康を助けるのは当然だったが、このことが一成とお江の運命を大きく左右することになる。 =つづく

 【所在地】東京都千代田区千代田1の1
 【交通アクセス】JR「東京駅」および地下鉄千代田線「大手町駅」から徒歩約5分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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