「中東最大の火種」とされてきたイランの核開発問題が解決する見込みとなり、イランでは制裁解除への期待が大いに膨らんでいるようです。私もイラン人の友人がいますが、彼らはとても親日的で、この機会に日本からの観光客が増えることを切望しています。そこで今回は将来有望な友好国イランの世界遺産「ペルセポリス」を紹介します。
イランは1997年のイスラム革命によって「イラン・イスラム共和国」となりましたが、私たち日本人にとっては「日の沈まない帝国」といわれ、220年の長い期間、オリエント全域を支配したペルシアという旧名の方が理解しやすいかと思います。
ペルセポリスは現シラーズ市の北方にあり、世界最初の法治国家アケメネス朝ペルシアの都でした。シリアのパルミラ遺跡、ヨルダンのペトラ遺跡と並んで中東の三大遺跡と呼ばれていますが、ペルセポリスの遺跡はこれらの中でも最も古く、洗練された彫刻と巨大な石材を使った高度な建築技術は他の遺跡の追随を許しません。
この都は紀元前520年頃、アケメネス朝ペルシアの全盛期を現出したダレイオス1世によって築かれ、その後クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世が引き継ぎ、紀元前450年頃に完成しました。
ペルセポリスはあらゆる民族を迎え入れるという意味をもつ「万国の門(クセルクセス門)」や「百柱の間」など大きく6つの区画に分けられていますが、行政を行った場所ではなく、「ノールーズ」という新年祭など、当時信仰されていたゾロアスター教(拝火教)の儀式を行う場所だったとされています。そこで、建物のレリーフにはゾロアスター教のシンボルが描かれたものも数多く残っています。
ゾロアスター教の教義では、世界を善神アフラ・マズダと悪神アフリマンの闘争の場としていますが、これは日本の神道における和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)という神の二元性を連想させてくれます。また、ゾロアスター教では「人生は祝祭」とされ、この点でも祭事を大切にしていた日本の伝統文化に近いものを感じます。
イランが親日的な理由は、このゾロアスター教の神道的な教えが今日のイラン人の心の中に生き続けており、また同時に国民がこのペルシア伝統の文化を大切にしているからではないでしょうか。私はペルシアという国は滅んでも文化は不滅だと考えています。
■黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ) 慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム(株)テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、旅について熱く語る。