今年結成100年となる節目の年に組織分裂が表面化した山口組。分裂の背景には、2005年にスタートした現在の篠田建市(通称・司忍)6代目体制の不透明な組織運営に対し、古参の直系組長を中心に不満がくすぶっていたからとされる。
第一が人事だ。篠田組長は就任後、出身母体である弘道会2代目会長を若頭に起用。さらに弘道会3代目会長を直系組長に引き上げ、今年に入り若頭補佐に取り立てるなどし、身内による支配構造を強め、弘道会による世襲体制を整えたとされる。総本部を神戸市から名古屋市へ移転する話も浮上していた。
一方、非弘道会系の直系組長の管理体制を厳格化。08年には定例会に欠席した有力直系組長を除籍処分にし、反発したとされる直系組長約10人も一斉処分するなど、非弘道会系の力をそぐ政策を進めた。3代目組長の若頭や5代目組長を出し、「山健にあらずんば山口組にあらず」と呼ばれた本流の山健組も人事で冷遇されていたという。
第二は不透明な会計だ。山口組は直系組長から毎月約100万円の「会費」を徴収しているが、収支報告がないほか、組ごとにミネラルウオーターやトイレットペーパーなどの雑貨の購入義務を課されるなど、反発が強まっていたという。
山口組は27日の緊急執行部会で離脱を表明した13団体の直系組長らを絶縁(永久追放)などにする処分を決めたが、1984年には3代目組長の跡目をめぐって、古参組長らが一和会を結成し、組が分裂。4代目組長らが射殺されるなど、「山一抗争」と呼ばれた血で血を洗う抗争事件が起き、25人が死亡している。果たして今回はどうなるのか。