豊臣秀吉の正室おねと長浜城 夫の留守中は“女城主”に

★豊臣秀吉の正室おねと長浜城(1)

2015.09.05


長浜城【拡大】

 戦国武将の妻で、NHK大河ドラマや戦国もののドラマに、最も登場する回数が多いのが「おね」だ。多くの女優がおねを演じたが、昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」では黒木瞳が演じた。

 おねは、織田信長に仕えた尾張朝日村出身の足軽、杉原定利(さだとし)の次女として生まれる。永禄4(1561)年8月、母の反対を押し切って、信長家臣、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)と結婚する。当時の結婚としては珍しく2人は恋愛結婚であった。

 秀吉とおねは仲の良い夫婦だったが、子供がなかった。このため、秀吉やおね自身の親類縁者を養子や家臣として養育した。中でも、特に有名なのが加藤清正と、福島正則の2人だ。

 一方、秀吉は好色で、次々と側室をもうけた。おねはこれに不満を持ち、信長に手紙で相談したこともあるという。信長は「秀吉にはもったいないほどの立派な妻なので、堂々と奥方らしく振る舞い、女のことなどで怒らぬように」と諭したとされている。

 天正元(1573)年、信長は小谷城(滋賀県長浜市)に籠城した浅井長政を滅ぼす。

 小谷城攻めに活躍した秀吉は、信長から浅井氏の旧領地(湖北)の大部分を与えられる。このときから羽柴秀吉と名乗り、近江国(滋賀県)長浜12万石の城持ちの武将となる。

 当初、秀吉は小谷城に入城したが、山城だったため、「今浜」と呼ばれていた琵琶湖畔の地に新たに城を築いた。そして、信長の1字をもらって地名を「今浜」から「長浜」に改め、長浜城(長浜市)とした。城が完成すると、秀吉は小谷城からおねとともに移り、天正10(82)年まで長浜城で過ごす。

 戦で城を不在にする秀吉に代わって、おねが長浜城の城主の役目を果たした。

 信長が京都・本能寺で家臣、明智光秀に討たれた際には、城を出て領内の大吉寺に身を隠した。秀吉が、山崎の合戦で光秀を破ると、城に戻って秀吉の帰還を待った。このシーンは、たびたび戦国ドラマに登場する。

 その後、2人は大坂城(大阪市)に移り、天正13(85)年、秀吉が関白に任官すると、おねは北政所(きたのまんどころ)の称号を許される。 =つづく

 【所在地】滋賀県長浜市公園町10の10
 【交通アクセス】JR北陸本線長浜駅から徒歩約8分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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