豊臣秀吉の正室おねと長浜城(2) 大坂移住で生活一変 (1/2ページ)

★豊臣秀吉の正室おねと長浜城(2)

2015.09.12


長浜城【拡大】

 「おね」の生活は、長浜城(滋賀県長浜市)から大坂城(大阪市)に移ると一変する。いままでは秀吉の家臣と、その家族の面倒だけをみればよかった。

 大坂城では、天下人の妻として、秀吉に代わって朝廷との交渉を一手に引き受けた。諸大名の正室たちが、秀吉の命令で大坂に集められると、国元を離れて暮らす正室たちの良き相談役となった。

 慶長3(1598)年8月18日、秀吉が没すると、淀殿とともに秀吉の唯一の子である秀頼(ひでより)を支えていく。

 NHK大河ドラマや戦国もののドラマでは、おねと淀殿の不仲な様子が描かれるケースが多い。だが、最近の研究では、2人はむしろ協調・連携した関係であったとする説も出てきている。

 実際、関ヶ原の合戦では、おねが秀吉子飼いの加藤清正、福島正則の2人に、徳川家康に味方するようにと勧めたとされている。これは、2人の石田三成との相性を考えてのアドバイスだったともいわれている。

 また、淀殿との対立から徳川方(東軍)のために動いたとするのが通説であったが、最近の研究では、淀殿と連携して大津城(滋賀県大津市)の合戦での講和交渉や戦後処理に動いたことが確認されている。

 関ケ原の合戦後は、京都三本木に移り、秀吉をまつった豊国神社(京都市東山区)にたびたび参拝し、秀吉の供養に専念する。

 

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