蒲生氏郷の正室、冬姫と鶴ヶ城(1) 「変」に騒いだ信長の血 (1/2ページ)

★蒲生氏郷の正室、冬姫と鶴ヶ城(1)

2015.09.19


鶴ヶ城【拡大】

 織田信長は永禄11(1568)年、近江(おうみ)国(滋賀県)の観音寺(かんのんじ)城(同市近江八幡市)を本拠とする佐々木六角氏(ろっかくし)を攻撃し、降伏させる。翌年、佐々木六角氏家臣、蒲生賢秀(がもう・かたひで)は、信長に臣従する姿勢をみせ、若干14歳の息子、氏郷(うじさと)を人質として差し出す。

 すると、信長は氏郷に才気を見いだし、自らの手で元服をさせる。翌年、氏郷が初陣を果たすと、自身の次女である冬姫と婚姻させる。冬姫は9歳であった。信長が氏郷の才能を高く評価したことはもちろんだが、佐々木六角氏の所領を円滑に治めるという狙いもあったと言われている。

 氏郷は信長が見込んだ通り、戦場においても期待通りの働きをみせた。

 織田氏には美貌の女性が多いが、冬姫も美貌の持ち主だったようだ。氏郷と冬姫の間には一男一女が生まれ、夫婦仲は良好であった。

 冬姫は蒲生氏の居城、近江日野城(滋賀県日野町)に暮らしていたが、天正10(1582)年、「信長が京都・本能寺で家臣、明智光秀(みつひで)に討たれた」という報を聞くと、ただちに行動を起こす。

 信長の居城だった安土城(滋賀県近江八幡市)には、義父、賢秀(かたひで)が留守役を任されていた。冬姫は「安土城に光秀が攻めてくる。一刻も早く、義父の救援に行く必要がある」と氏郷に進言したのだ。

 

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