小田原城と今川氏真の正室の早川殿 信玄が侵攻 駿河脱出

★小田原城と今川氏真の正室、早川殿

2015.10.24


小田原城(提供写真)【拡大】

 小田原城(神奈川県小田原市)は、戦国大名の草分け、北条早雲(そううん)から始まる北条氏(=鎌倉幕府執権を務めた北条氏と区別し、後北条氏とも呼ぶ)の居城。2代の氏綱(うじつな)、3代の氏康(うじやす)、4代の氏政(うじまさ)、5代の氏直(うじなお)と続き、96年間にわたって君臨した。戦国時代屈指の堅固な大城郭都市を完成させた。

 『北条五代記』によると、小田原城の最盛期には「東西五十町、南北七十町、周囲五里」と記されている。当時、大坂城(大阪市)をしのぐ広大さであったようだ。現在の関東地方に重なる「関八州」の政治・経済の中心であり、京都との往来も多かった。文化・産業が発達し、関東一の賑いを呈していた。

 早川殿は、氏康の長女として生まれる(生年不詳)。

 天文23(1554)年、領地が隣接する武田氏、今川氏、北条氏の三氏は、お互いの利益のために同盟を結ぶ。この同盟は甲斐国(=武田領・山梨県)、相模国(=北条領・神奈川県)、駿河国(=今川領・静岡県中部・東北部)の頭文字をとって「甲相駿三国同盟」と呼ばれた。

 そして、同盟を維持するために、早川殿は今川義元(よしもと)の嫡子、氏真(うじざね)と政略結婚させられる。嫁入りの行列は盛大なもので、「お供の者たちは綺麗に飾り、色々の道具持参で前代未聞の見物だった」という記録が『妙法寺記』に残されている。

 永禄元(1568)年12月、武田信玄(しんげん)が同盟を破り、駿河国に侵攻する。早川殿は氏真とともに駿府城(静岡市)を脱出し、掛川城(静岡県掛川市)に逃れる。

 信玄の同盟破りに、早川殿の父、氏康は激怒し、武田氏との同盟を破棄した。そして、上杉謙信(けんしん)と同盟(越相同盟)を結び、今川氏を救うために駿河国に兵を進めた。

 その後、早川殿と氏真は北条氏を頼り、小田原の早川に移り住む。この後、「早川殿」と呼ばれるようになったようだ。

 元亀2(1571)年10月、氏康が亡くなると、早川殿と氏真は小田原を離れ、徳川家康を頼って浜松で暮らす。天正18(1590)年ごろ、京都に移り住んだが、慶長17(1612)年に江戸に移る。翌年2月15日、早川殿は氏真に先立って亡くなる。

 ちなみに、甲相駿三国同盟で成立した夫婦3組で、離縁しなかったのは早川殿と氏真だけだ。 =次回は春日局と黒井城(兵庫県丹波市)

 【所在地】神奈川県小田原市城内6の1
 【交通アクセス】JR東海道本線・東海道新幹線・小田急小田原線「小田原駅」から徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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