和歌山城と春姫 石垣に豊臣、浅野、徳川の面影

★和歌山城と春姫

2015.12.05


和歌山城【拡大】

 豊臣秀吉の弟、秀長(ひでなが)は「紀州攻め」で武功をあげると、100万石を与えられ、天正13(1585)年から和歌山城(和歌山市)の築城を開始した。秀長自身は大和郡山城(奈良県大和郡山市)を居城としたので、城代として桑山重晴(しげはる)が和歌山城に入城する。

 慶長5(1600)年の関ケ原の合戦後、徳川方(東軍)に属した浅野幸長(ゆきなが)が、37万6000石で和歌山城に入城すると、2代19年間にわたって在城した。そして、幸長の二女として、慶長8(03)年に生まれたのが春姫である。

 春姫は、元和元(1615)年4月12日、徳川家康の九男で、尾張徳川氏初代藩主、義直(よしなお)と結婚する。このとき、義直は16歳、春姫は14歳であった。

 家康は両家の婚礼のため、駿府(すんぷ)城(静岡市)を出発し、4月9日に名古屋城(名古屋市)二ノ丸に入る。

 春姫は、4月12日に和歌山城を出発し、桑名から熱田へ船で渡った。名古屋城下の本町通りから名古屋城本丸に入輿して、婚礼の儀が執り行われた。

 嫁ぐに際し、春姫は、家康に白銀2000両・小袖10、義直の母、お亀の方に白銀1000両・小袖10を献上した。婚礼には、豊臣秀頼(ひでより)からも祝儀物が名古屋城に届けられた。春姫の嫁入りが、現在の名古屋の豪華な結婚式のルーツだとも言われている。

 翌日、家康は、本丸で義直と春姫から婚礼が無事に終わったことの報告を受けた。家康は、徳川幕府第2代将軍、秀忠(ひでただ)に次いで、義直を寵愛(ちょうあい)しており、初々しい2人の姿を見て上機嫌だったようだ。

 義直と春姫は政略結婚でも、仲の良い夫婦であった。だが、寛永14(1637)年、春姫は35歳という若さで亡くなる。2人の間には子供が生まれなかったが、義直は春姫が亡くなるまで側室を置こうとはしなかった。

 ちなみに、後に浅野氏に代わって元和5(1619)年、伊勢国(三重県)を加えて55万5000石で和歌山城に入城したのが、家康の十男、紀伊徳川氏初代藩主、頼宣(よりのぶ)である。

 和歌山城の見どころは、豊臣時代の「野面積(のづらづみ)」、浅野時代の「打込(うちこみ)ハギ」、徳川時代の「切込(きりこ)ハギ」が混在する石垣群だ。 =次回は片倉小十郎重長の後妻、阿梅姫と白石城(宮城県白石市)

 【所在地】和歌山県和歌山市一番丁3
 【交通アクセス】JR紀勢本線「和歌山駅」・南海本線「和歌山市駅」からバスで約10分「公園前」下車、徒歩すぐ。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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