片倉小十郎重長の後妻、阿梅姫と白石城 家臣も知らなかった幸村の娘 (1/2ページ)

★片倉小十郎重長の後妻、阿梅姫と白石城

2015.12.12


白石城【拡大】

 白石城(宮城県白石市)は慶長7(1602)年に、伊達政宗の右腕で「鬼の小十郎」と呼ばれた片倉小十郎重長が入城してから約260年、10代にわたり片倉氏の居城となる。「小十郎」は、代々の片倉氏の当主が踏襲して名乗ってきたものだ。

 徳川幕府は「一国一城令」によって、諸藩が複数の城を持つことを禁止したが、熊本藩の八代城(熊本県八代市)などと並び、白石城は例外扱いとされた。そのため、明治維新まで存続する。

 慶長20(1615)年、重長は大坂夏の陣に政宗に従い出陣し武功をあげる。すると、「大坂五人衆」の1人、真田幸村から「大坂城(大阪市)に一緒に入城している三女、阿梅(おうめ)姫を匿(かくま)ってほしい」という手紙を受け取る。

 重長は幸村の願いを聞き入れる。政宗の許しを得ると、大坂城落城後に阿梅姫を白石城に連れて帰り、身分を隠して片倉氏の侍女とした。片倉氏の家臣たちは、のちに真田氏の旧臣が白石城を訪れて初めて、阿梅姫が幸村の娘であったことを知ったという。

 徳川幕府は大坂夏の陣の後、豊臣方の残党狩りを厳しく行っている。幸村の遺児を匿えば、伊達氏は幕府から処罰を受ける可能性すらあった。

 実際、幕府から伊達氏に調査があると、幕府旗本になっている真田幸隆の四男、信尹(のぶただ)の孫を養子にもらったなどと弁明し、幕府の追及をかわしている。

 

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