宇喜多直家の正室、おふくと岡山城 悪名高い夫と仲睦まじく

★宇喜多直家の正室、おふくと岡山城

2015.12.19


岡山城【拡大】

 岡山城(岡山市)は、宇喜多直家が謀略をめぐらせ、家臣の金光宗高(むねたか)から奪い取った城で、宗高は切腹に追い込まれた。当時、直家は悪名高く、「悪逆暴行」「獅子身中の虫」「逆臣」といった、ありがたくない異名を持った人物であった。

 直家は、美作(みまさか)高田城(岡山県真庭市)主、三浦貞勝(さだかつ)の美貌の未亡人、おふくに一目ぼれする。

 おふくは永禄2(1559)年、貞勝と結婚したが、同8(65)年に三村家親(いえちか)に攻められると、貞勝が22歳で自刃したため、備前国(岡山県島南部)に逃れていた。

 直家は、すぐにおふくを気に入り正室とする。このとき、直家41歳、おふく23歳であった。

 直家はおふくの願いを聞き入れ、貞勝を死に追いやった家親を暗殺する。さらに近隣の豪族を謀略・毒殺・裏切り・暗殺を駆使して、合戦なしで備前国を支配するまでに勢力を拡大した。

 元亀3(1572)年、直家とおふくとの間に、嫡子、秀家が生まれる。2人の関係は良好で、つねに一緒に行動をしたようだ。

 昨年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、直家を俳優の陣内孝則が、おふくを女優の笛木優子が演じた。直家と黒田官兵衛との交渉シーンで、直家の体におふくの妖艶な体がしなだれかかっていた。重大交渉時でさえ、つねにおふくと一緒であったシーンがドラマの中でも描かれていた。

 天正10(1582)年、直家は岡山城で53歳で病死した。亡くなる間際、枕元に羽柴(のちの豊臣)秀吉を呼び、おふくと秀家を託した。

 女好きで有名な秀吉は、おふくを気に入った。中国大返しの際にも、わざわざ岡山城で1泊している。おふくは、お家安泰と幼少の秀家の将来を考え、秀吉に最高のおもてなしをしたと考えられる。

 秀吉は、山崎の合戦で明智光秀に勝利すると、秀家を養子にし、おふくを側室にして大坂城(大阪市)に呼ぶ。おふくは茶々(のちの淀殿)に次いで、秀吉に寵愛された側室だったようだ。

 秀家が慶長5(1600)年の関ケ原の合戦で敗軍の将となり、八丈島に流罪となってからは、おふくの正確な消息はわかっていない。 =次回は伊達政宗の母、義姫と仙台城

 【所在地】岡山県岡山市丸之内2の3の1
 【交通アクセス】JR山陽本線・山陽新幹線「岡山駅」から路面電車「東山行き」で約5分「城下」下車、徒歩約10分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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