伊達政宗の母、義姫と仙台城(1) 夫・輝宗を助けられなかった政宗に恨み (1/2ページ)

★伊達政宗の母、義姫と仙台城(1)

2015.12.26


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 最上義光(よしあき)の妹、義姫(よしひめ)が、米沢城(山形県米沢市)主、伊達輝宗(てるむね)に嫁いだのは18歳のときである。

 義姫が輝宗に嫁いで間もなく、父の最上義守(よしもり)と、兄の義光が対立する。義守が家督を義光ではなく、弟の義時に譲ろうとしたことが原因だった。夫の輝宗は義守に味方したが、義姫は義光を尊敬しており、親子の対決に苦しんだ。

 最後は、義守と義光が和解し、義姫をほっとさせる。そして、永禄10(1567)年8月、政宗が誕生する。

 義姫は、おなかの中に政宗がいるとき、文武の才と忠孝に厚い嫡男の誕生を湯殿山に祈らせた。夜の夢に白髪の僧が立ち、宿を胎内に借りたいと請い、生まれてきたのが政宗だと言われている。

 政宗は5歳のとき、疱瘡(ほうそう)を患い、右目を失明した。このことが政宗を粗暴な性格にしてしまったようだ。義姫は政宗への愛情が薄れるなか、31歳のとき、小次郎を産む。すると、完全に政宗から気持ちが離れ、小次郎を溺愛するようになった。

 これに対し、輝宗は、政宗の武将としての資質を見抜き、多くの高名な儒学者・僧を米沢城に招き、政宗の教育係とした。また、米沢八幡社の神官の子である片倉小十郎景綱(かげつな)の才能に目をつけ、政宗の側近として仕えさせた。

 天正2(1574)年、今度は義光と義時との間で、兄弟げんか(戦争)が勃発する。輝宗は義時に味方し出陣したが、「最上家中の兄弟げんかに首を突っ込まないでほしい」と書いた手紙を義姫が輝宗に送ると、願いを聞き入れ、米沢城に帰還した。

 

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