武田勝頼の正室、北条夫人と新府城(1) 甲相同盟解消も離縁せず

★武田勝頼の正室、北条夫人と新府城(1)

2016.01.23


新府城跡【拡大】

 今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の第1回の放送(1月10日)に登場した新府(しんぷ)城(山梨県韮崎市)は、天正9(1581)年2月から、真田昌幸(まさゆき)が普請奉行となって武田氏の居城として築城を開始した。

 城は完成していなかったが、武田勝頼は、同年12月24日に新府城に入城する。だが、わずか3カ月で城を棄てることになる。織田軍の侵攻を恐れて、自ら城に火を放ったのである。

 武田氏が滅亡への坂を転げ落ちるきっかけは、天正3(75)年に織田・徳川連合軍と交えた長篠の合戦での敗北だ。

 長篠の敗北から1年8カ月後、武田氏と北条氏は「甲相同盟」を結び、14歳になる北条氏康の末娘が、32歳の勝頼のもとに嫁ぐ。この末娘が北条夫人である。

 勝頼には、織田信長の養女として武田氏に嫁いだ遠山夫人が正室としていたが、嫡男、信勝を生んだ際に、難産のため亡くなっていた。

 北条夫人が武田氏に嫁いでまもなくの天正6(78)年、上杉謙信が亡くなると、後継者争いが上杉家中で勃発した(御館の乱)。

 勝頼は、北条夫人の兄、北条氏政の要請で、北条氏から上杉氏に養子として入っていた上杉景虎に加勢したが、北条氏の動きが鈍いため、もう1人の養子である謙信の姉の子、上杉景勝にくら替えする。

 そのため、勝頼の支援を失った景虎は景勝に敗れると自害した。しかも勝頼は、妹の菊姫を景勝の正室に送り込んだ。これによって、わずか2年で甲相同盟は解消することとなる。

 同盟の解消に伴い、勝頼は北条夫人を離縁させ、実家の小田原城(神奈川県小田原市)に戻そうとしたが、北条夫人は勝頼のもとを離れなかった。衰退の一途をたどる武田氏だったが、離縁せず勝頼と一緒に生きる道を選択したのである。

 武田氏の菩提寺である恵林寺(山梨県甲府市)の快川(かいせん)和尚は、北条夫人について「若いが気高く慈愛にあふれ、誰にでも優しく接する人」だったと書き残している。

 勝頼は決して愚将ではなかったが、父、信玄の時代から仕えた武田氏の家臣たちは、1人また1人と勝頼のもとを去っていた。そして、天正10(82)年、勝頼の姉、真里姫が嫁ぐ木曽義昌までもが裏切ったのだ。 =つづく

 【所在地】山梨県韮崎市中田町中條上野
 【交通アクセス】JR中央本線「新府駅」下車、徒歩約15分。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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