武田勝頼の正室、北条夫人と新府城(2) 実家に逃れず夫と自刃

★武田勝頼の正室、北条夫人と新府城(2)

2016.01.30


新府城跡【拡大】

 戦国時代は、親兄弟や一族の間での騙し合い、裏切り、殺し合い、争いごとがたびたび起こった。武田勝頼にとって、姉の真里(まり)姫が嫁いだ木曽義昌(よしまさ)の裏切りは、武田氏の滅亡を予感させる始まりだったかもしれない。

 今年のNHK大河ドラマ「真田丸」は、このあたりから描かれている。

 勝頼の正室、北条夫人は、武田八幡神社に願文を奉納し、武田氏の安泰を願った。現在も、北条夫人の自筆の願文は現存している。

 織田信長が支配する美濃(みの)国(岐阜県)との国境(くにざかい)にある福島城(長野県木曽町)を居城とする義昌の裏切りは、武田領内への織田軍の侵攻を早める可能性があった。

 勝頼は義昌征伐のための軍を派遣する。義昌は、地の利を得た戦術と織田信忠の加勢もあり、鳥居峠にて武田軍を撃退した。

 だが、武田軍が新府(しんぷ)城(山梨県韮崎市)から出陣する前日の天正10(1582)年2月2日、武田氏の人質になっていた義昌の70歳の母、13歳の嫡男、千太郎、17歳の長女、岩姫が処刑された。

 勝頼が予想した通り、織田軍は一気に信濃国(長野県)に侵攻してきた。

 完成していない新府城では、籠城しても織田軍に対抗できないとして、真田昌幸は勝頼に、真田氏の城である岩櫃(いわびつ)城(群馬県東吾妻町)に移り、態勢を立て直すべきだと進言する。

 ところが、勝頼は、武田氏と姻戚関係にある小山田信茂が治める岩殿(いわどの)城(山梨県大月市)に移ることにした。

 3月3日、勝頼は自らの手で新府城に火を放つと、北条夫人と嫡男、信勝(のぶかつ)、家来約500人を従え、岩殿城を目指した。

 もう少しで岩殿城に着くところで、勝頼は信頼していた信茂に裏切られる。そのため、天目山栖雲寺(てんもくざん・せいうんじ)に行き先を変更する。勝頼は「昌幸の進言を聞いていれば」と思ったに違いない。

 3月11日、勝頼らは、滝川一益(かずまさ)が率いる織田軍に包囲される。勝頼は北条夫人に実家の小田原城(神奈川県小田原市)まで逃げるように説得する。しかし、北条夫人は勝頼から離れようとはしなかった。

 最後は天目山で、勝頼、信勝とともに、北条夫人も自刃した。19歳という若さだった。

 =次回は黒田官兵衛の正室、光(てる)と中津城(大分県中津市)
 【所在地】山梨県韮崎市中田町中條上野
 【交通アクセス】JR中央本線「新府駅」下車、徒歩約15分。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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