黒田官兵衛の正室、光と中津城 関ヶ原の合戦大坂から脱出

★黒田官兵衛の正室、光と中津城

2016.02.06

中津城
中津城【拡大】

 黒田官兵衛の正室として、戦国の世を生きた光(てる)は、天文22(1553)年、播磨国(兵庫県)志方城(加古川市)の城主、櫛橋伊定(くしはし・これさだ)の娘として生まれた。

 永禄10(1567)年、黒田氏と櫛橋氏が仕えていた小寺政職(まさもと)が仲人となり、2人は結婚する。このとき、官兵衛は22歳、光は15歳だった。

 平成26(2014)年に放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、官兵衛を俳優の岡田准一が、光を女優の中谷美紀が演じていた。ドラマでは2人の仲むつまじい様子が描かれていたが、実際の2人もドラマと同じだったようだ。

 官兵衛は側室を設けなかった。2人の間には松寿丸(しょうじゅまる=のちの長政)と、熊之助が生まれる。

 光には櫛橋氏を継いだ兄、政伊(まさこれ)と、上月景貞(こうづき・かげさだ)に嫁いだ姉(名前不明)がいた。

 官兵衛は羽柴(のちの豊臣)秀吉の軍師として毛利攻めに参加した。一方、櫛橋氏と上月氏は毛利氏に味方したため、秀吉軍に敗れると、最後は政伊と景貞は自刃した。残された子供たちは、官兵衛が引き取り、以後は光が育てる。

 天正6(1578)年10月、秀吉軍に加わっていた荒木村重(むらしげ)が、織田信長に反旗を翻(ひるがえ)し、有岡城(兵庫県伊丹市)に籠城する。

 官兵衛は秀吉の命を受け、村重を説得するために有岡城に向かうも、捕らえられて城内の土牢に監禁される。約1年間にわたって幽閉されるが、有岡城の落城後に解放される。この間、信長は官兵衛が村重に寝返ったと考え、織田氏に人質として預けられていた松寿丸を殺すように命じた。

 だが、松寿丸は秀吉のもう一人の軍師、竹中半兵衛が匿(かくま)う。官兵衛が有岡城から無事に戻り、疑念が晴れると、松寿丸は光のいる姫路城(兵庫県姫路市)に帰郷することができた。

 信長が京都・本能寺で横死すると、秀吉の軍師として留守をすることが多い官兵衛に代わって、光は黒田氏を内助の功で支え続けた。

 官兵衛は関ケ原の合戦では、石田三成との確執から、徳川方(東軍)に味方する。大坂の黒田屋敷にいた光は、ひそかに脱出し、黒田氏の居城である中津城(大分県中津市)に逃げのびる。

 その後、中津城、福岡城(福岡県福岡市)で晩年を過ごし、寛永4(1627)年8月26日、75歳で亡くなった。

  =次回は、京極高次の正室、お初と大津城(滋賀県大津市)

 【所在地】大分県中津市二ノ丁本丸
 【交通アクセス】JR日豊本線「中津駅」から徒歩約15分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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