京極高次の正室、お初と大津城 「籠城」評価され8万5000石

★京極高次の正室、お初と大津城

2016.02.13

大津城跡碑
大津城跡碑【拡大】

 浅井(あざい)三姉妹といえば、豊臣秀吉の側室となった長女、茶々(のちの淀殿)と、徳川秀忠の正室となった三女、お江(ごう)、そして、京極高次(きょうごく・たかつぐ)の正室となった次女、お初のことをいう。

 三姉妹は、母、お市の方(織田信長の妹)の美貌を受け継ぎ、お初も細身で容姿に優れていたようだ。また、幼少のころから3人は大変仲が良く、最終的に豊臣氏と徳川氏が敵対関係になったときも、三姉妹は固い絆で結ばれていた。

 お初は、永禄13(1570)年に小谷城(滋賀県大津市)で生まれる。

 父、浅井長政は、天正元(1573)年、小谷城を信長に攻められると自刃した。このとき三姉妹は、浅井氏家臣、藤掛永勝によって、織田軍の陣まで送り届けられた。

 その後、信長は京都・本能寺で横死した。秀吉が織田氏家臣、柴田勝家を打ち破り、事実上、信長の後継者となると、三姉妹は秀吉の庇護を受けることになる。

 天正15(87)年、お初は秀吉の計(はか)らいで、京極高次と結婚する。長政の姉は京極マリアであり、お初にとって高次はいとこにあたる。

 高次は、姉、京極竜子(松の丸殿)が秀吉の側室になったことで、京極氏の再興を果たした。姉の力で出世したため「蛍大名」ともいわれる。

 慶長5(1600)年の関ケ原の合戦では、お初は高次と一緒に大津城(滋賀県大津市)に籠城し、徳川方(東軍)に味方した。豊臣方(西軍)の兵1万5000人に包囲されると、1週間は持ちこたえたが、最後は降伏して開城する。

 関ケ原の後、徳川家康から大津城での籠城ぶりを高く評価され、高次は若狭国(福井県西部)8万5000石を与えられた。

 慶長14(09)年、高次が亡くなると、お初は出家して常高院(じょうこういん)と号した。このころから豊臣秀頼と家康の対立が起こる。常高院は両氏の仲介に奔走するも、慶長19(14)年、大坂冬の陣が勃発し、翌年の大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡した。

 お初は三姉妹のなかでもっとも長生きする。晩年は、高次の跡を継いだ忠高と、正室、初姫(お江の四女)との不仲に悩まされ続ける。

 寛永10(1633)年、京極氏の江戸屋敷にて64歳で亡くなった。

 =次回は加藤清正の母、伊都と熊本城(熊本市)
 【所在地】滋賀県大津市浜大津5丁目
 【交通アクセス】京阪電車「浜大津駅」から徒歩約2分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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