奥州一の美女、久保姫と大館城 輿入れ途中に捕らわれ伊達家へ (1/2ページ)

★奥州一の美女、久保姫と大館城

2016.03.26

大館城跡(提供写真)
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 大永元(1521)年、大館(おおだて)城(福島県いわき市)主、岩城重隆の長女として生まれたのが、「奥州一の美女」として評判の久保姫だ。

 重隆は、対立関係にある「田村・相馬・伊達」の三氏連合に対抗するため、久保姫を結城晴綱(はれつな)に嫁がせ、「岩城・結城」同盟を考えていた。

 そこに、相馬顕胤(あきたね)が訪ねてきて、「久保姫を伊達氏に嫁がせてほしい」といってきた。重隆が、この申し入れを断ると、岩城氏は相馬・伊達氏と軍事衝突寸前の状態となる。

 天文10(1541)年、結城氏への輿入れが強行されるなか、久保姫の一行は待ち伏せていた伊達氏の軍勢に取り囲まれる。伊達軍を率いていた伊達晴宗(はれむね)は、生け捕りにした久保姫が評判通りの美女だったため、正室とした。

 久保姫も晴宗のことを気に入ったようで、重隆に2人の結婚を認めてくれるよう再三にわたり書状を書いた。重隆は、嫡男が生まれたら、岩城氏に養子に出すことを条件に渋々結婚を許した。

 久保姫は晴宗との間に6男5女を産んだ。晴宗は側室を持たず、生涯、久保姫を大切にする。孫の政宗が幼いときに片目を失明してからは、たびたび自分の部屋に呼んでは、励ましたといわれる。

 天正5(1577)年、晴宗が59歳で亡くなると、久保姫は出家して裁松院(さいしょういん)と号した。六男、杉目直宗(すぎめ・なおむね)とともに、杉目城(福島市)に移り住む。

 

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