富田信高の正室と宇和島城 家康を感動させた妻の武勇 (1/2ページ)

★富田信高の正室と宇和島城

2016.04.09

宇和島城
宇和島城【拡大】

 慶長5(1600)年、関ケ原の合戦の直前、伊勢国(三重県中央)安濃津(あのつ)城で、徳川方(東軍)と、豊臣方(西軍)が激突した。

 城を攻めるのは、毛利秀元、長宗我部盛親(もりちか)ら3万人の兵力を擁する西軍。一方、東軍に味方する城主、富田信高(のぶたか)のもとには伊勢地方の諸将が集まったが、将兵は1700人。数のうえでは西軍の勝利は間違いなかったが、簡単には城を落とせなかった。

 戦局に動きがあったのは、西軍の大砲による攻撃が始まってからだ。一気に櫓(やぐら)が破壊され、三ノ丸、二ノ丸まで侵入されてしまう。そのため、信高は本丸から飛び出し、最後の決戦に挑む。

 味方が次々と亡くなるなか、信高は「もうこれまで」と覚悟を決め、自害をしようと本丸に戻ろうとした。そのとき、1人の若武者が西軍のなかに斬りかかっていった。

 『武功雑記』には、信高を救おうと出撃した若武者について、「緋縅(ひおどし)の具足に半月を打った兜の緒をしめ、片鎌の手槍を持ち、信高の前に進み出て槍を合わせ、たちまち5、6人を手負いにさせ、なお進んで戦う」とある。

 若武者の正体は、信高の妻(名前は不明)だった。宇喜多直家の弟、安心入道忠家の娘で、年齢は20代半ば。武芸にすぐれ、夫思いの女性だったようだ。

 安濃津城は最後、西軍から和議の申し出を受け、開城する。

 

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