石田三成の正室、うたと佐和山城 「関ケ原」敗れ落城

★石田三成の正室、うたと佐和山城

2016.04.16

佐和山城跡「石田三成像」
佐和山城跡「石田三成像」【拡大】

 「うた」という女性は、豊臣政権の中枢にいた石田三成の正室でありながら、詳細な記録があまり残っていない。

 今まで戦国ドラマや、NHK大河ドラマに、うたが登場することはなかったが、今年の大河ドラマ「真田丸」では、女優の吉本菜穂子が演じている。4月10日の放送では、真田信繁(のぶしげ=幸村)を接客するシーンで登場した。今後の放送で、うたがどのように演じられるか楽しみだ。

 うたの生年は不明だが、三成と結婚したのは『極楽寺系図』や、その他の史料によれば、天正5(1577)年ごろと推測される。天正7(79)年には、長女(名前不明)が生まれている。

 うたは、国元を離れ、人質として大坂城(大阪市中央区)で暮らす大名たちの子女の面倒を見た。そのため、三成のことを快く思わない大名たちも、うたには好意(=感謝の気持ち)を抱いていたといわれている。

 慶長5(1600)年の関ケ原の合戦は、うたにとって最悪の結末になる。このとき、うたは大坂城を離れ、三成の居城、佐和山城(滋賀県彦根市)に、三成の家族、うたの父、宇多頼忠(うだ・よりただ)、兄、頼重(よりしげ)とともにいた。

 徳川方(東軍)は、豊臣方(西軍)を関ケ原で破ると、小早川秀秋(ひであき)軍を佐和山城の攻撃に向かわせる。城内には、わずかばかりの兵しかおらず、佐和山城は半日も持たずに落城した。

 三成の父、石田正継(まさつぐ)、兄、石田正澄(まさずみ)、うたの父、頼忠、兄、頼重らは自害した。うたも石田氏の家臣の手を借りて自害したといわれている(享年は不明)。

 一方、大坂城に残っていた三成の子供たちのなかで、嫡男・重家、次男・重成、三女・辰姫は、豊臣方が関ケ原で敗れると、大坂城をひそかに抜け出した。

 のちに重家は、徳川家康に助命され出家すると、宗亨と名乗って104歳の天寿をまっとうした。重成は津軽氏に匿(かくま)われ、杉山源吾(げんご)を名乗り、のちに弘前藩の家老職となる。辰姫は、弘前藩2代藩主、津軽信枚(のぶひら)の正室となった。

 ちなみに、うたの姉は、真田信繁の父、昌幸(まさゆき)の正室、山手殿だ。これが縁で、昌幸は豊臣方に味方したといわれている。 =次回は山崎家治の正室、天球院と丸亀城(香川県丸亀城)

 【所在地】滋賀県彦根市古沢町
 【城への行き方】JR東海道本線(琵琶湖線)「彦根駅」から徒歩約50分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災検定協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

 

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