天球院と丸亀城 兄嫁だけ救った夫と離縁 (1/2ページ)

★天球院と丸亀城

2016.04.23

丸亀城
丸亀城【拡大】

 山崎家治は、寛永18(1641)年、丸亀城(香川県丸亀市)の城主となる。もともと、近江国(滋賀県)の豪族で、織田信長に仕え、その後、豊臣秀吉に仕えた。家治の父、家盛の正室が天球院(生年は不明)だ。

 天球院は男勝りの腕力を持ち、顔もきれいではなかった。家盛は側室を置くが、天球院は嫉妬することはなかった。

 慶長5(1600)年、関ケ原の合戦が近づくなか、天球院の実家である池田氏は、兄の輝政、弟の長吉が徳川家康に従い、会津の上杉氏討伐に向かった。

 家盛は、石田三成に味方して大坂城(大阪市中央区)に残ったが、実は池田氏と同様、家康に内通していた。

 家康に味方した大名らの悩みは、大坂に残る妻子たちだ。三成は大坂城で人質にしようとしたのだ。監視の目を交わして脱出する妻子もいたが、池田氏の大坂屋敷には厳しい監視が付けられていた。輝政の正室、督(とく)姫は家康の娘で、息子の忠継と忠雄は家康の外孫だったからだ。

 家盛は、豊臣方(西軍)に味方しているふりをして、督姫と息子たちを大坂から連れ出し、自領である摂津三田(兵庫県三田市)まで脱出させることに成功する。

 家盛の行動が、普段は文句をいわない天球院の怒りを買う。兄嫁の督姫を脱出させながら、自分を人質として大坂城に入れようとしたからだ。

 このことが原因で、関ケ原の合戦が終わると、天球院は離縁して実家に戻ってしまう。家盛と天球院には子供はなく、文禄3(1594)年に側室が産んだのが丸亀城主となった家治である。

 

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。