養徳院と犬山城 戦国見届けた信長の乳母 (1/2ページ)

★養徳院と犬山城

2016.05.07

犬山城
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 養徳院は永正12(1515)年、美濃国池田郡(岐阜県池田町)の小土豪だった池田政秀(まさひで)の子として生まれた(俗名は不明)。政秀の勧めで、滝川恒利(つねとし)を養子として迎え結婚する。

 その後、養徳院は恒利との間に3人の男子をもうけたが、三男の信輝(のぶてる)を産んだ天文5(1536)年、織田信秀(のぶひで)の子、吉法師(きちほうし=のちの信長)の乳母(めのと)となる。

 『池田家履歴略記』には、「吉法師はかんの強い子で、乳母の乳首をかみ切ってしまい、何人も乳母が交代した」と記されている。

 養徳院は吉法師の乳母になるに際し、生まれたばかりの信輝を連れて、織田氏の居城である勝幡(しょばた)城(愛知県稲沢市)に入った。いままで乳母の乳首を何度もかみ切っていた吉法師だったが、養徳院の乳首はかまず、おいしそうに乳を飲んだという。そして、信輝と吉法師の2人は、養徳院の乳を飲みながら本当の兄弟のように仲良く成長していった。

 恒利は、養徳院が吉法師の乳母として織田氏に仕えて4年後に病死する。このときから彼女は養徳院と号するようになったといわれている。

 信輝は元服すると、織田氏の家来として信長を支え続けた。元亀元(1570)年、信長が犬山城(愛知県犬山市)を手に入れると、信輝は犬山城の城主となる。この城で11年間過ごした。

 

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