宇都宮鎮房の娘、お鶴と城井谷城 秀吉に降伏13歳で人質に (1/2ページ)

★宇都宮鎮房の娘、お鶴と城井谷城

2016.05.21

城井谷城跡
城井谷城跡【拡大】

 城井谷(きいだに)城(福岡県築上町)は、建久6(1195)年に鎌倉幕府から豊前守護職に任ぜられた宇都宮信房が築城し、宇都宮氏の居城として栄えていた。

 戦国時代も、宇都宮氏は、大友氏や島津氏の侵攻に対して城井谷城を守りぬいた。だが、天正14(1586)年から始まる豊臣秀吉の九州征伐では、本領安堵(あんど)を条件に、宇都宮鎮房(ちかふさ)は秀吉に従うこととなった。

 ところが、秀吉は約束をほごにして、宇都宮氏に伊予国(愛媛県)への転封を命じたのだ。

 鎮房は、一度は城井谷城を明け渡したが、先祖代々守ってきた所領を離れることに我慢できず、城井谷城を急襲し、奪回する。同時に、豊前最大の国人領主である宇都宮氏の蜂起に呼応する形で豊前国人一揆も発生した。

 九州征伐後、秀吉から豊前国6郡を与えられていた黒田官兵衛はこの事態を解決するため、秀吉に宇都宮氏の伊予国への転封の取りやめを願い出るが認められず、逆に「宇都宮氏討伐」の命令が降りる。

 官兵衛の息子、長政が城井谷城に攻め込むと、宇都宮氏はゲリラ戦で翻弄し、黒田軍を一度は撃退した。だが最後は、再び本領安堵を条件に、鎮房の13歳になる娘のお鶴を人質に出すことを条件に和議を結ぶ。お鶴は、3人の侍女を連れ、完成したばかりの黒田氏の居城、中津城(大分県中津市)に人質として入城した。

 お鶴の中津城での人質生活は長くは続かなかった。

 

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