小田原城(上) 秀吉の天下へ最後の障害 (1/2ページ)

★小田原城(上)

2016.06.11

小田原城
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 天正10(1582)年6月2日、「天下布武(=天下泰平の世を創る)」を掲げて天下統一を目指していた織田信長は、明智光秀の謀反により、京都・本能寺で横死する。

 このとき、羽柴(のちの豊臣)秀吉は、中国地方の覇者、毛利氏に味方する清水宗治(むねはる)が守る備中高松城(岡山県岡山市)攻めの最中だった。

 秀吉は、「信長死す」という知らせを受けると、毛利氏の外交僧、安国寺恵瓊(あんこくじ・えけい)を交渉役にした。備中高松城に籠城する将兵の命を助ける代わりに、清水宗治に切腹させ、毛利氏からの領地割譲を5カ国から3カ国に減らすという条件で講和を成立させる。

 そして、秀吉軍は光秀を討つため、備中高松城から姫路城(兵庫県姫路市)に立ち寄り、大坂までの約180キロメートルの行程(=備中高松から摂津富田)をわずか6日間で駆け抜けた。これが有名な「中国大返し」といわれるものだ。

 6月13日、秀吉軍と光秀軍は円明寺川を挟んで激突する(山崎の合戦=天王山の合戦とも呼ぶ)。秀吉軍はわずか数時間で光秀軍を撃破した。

 秀吉は山崎の合戦での勝利により、織田家中で事実上の後継者の地位を確立する。信長が成し得なかった天下統一の実現に向けて動き出す。

 

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