小田原城(下) 落城で戦国時代が終焉 (1/2ページ)

★小田原城(下)

2016.06.18

小田原城
小田原城【拡大】

 関東一円に強大な勢力を誇っていた北条氏は、豊臣秀吉がどんな大軍で小田原城(神奈川県小田原市)に攻めてこようと、追い返すことができると思っていた。

 なぜなら、小田原城は、永禄4(1561)年の上杉謙信や、同12(1569)年の武田信玄による猛攻にも耐え抜いていたからだ。

 北条氏は、小田原城の支城からも兵力を集め、約5万人で籠城した。隠居していた父、氏政(うじまさ=4代目当主)と息子、氏直(うじなお=5代目当主)は、最後は勝てると踏んでいた。

 実際、小田原城は東西2・7キロメートル、南北2・2キロメートルの巨大な城郭で、本丸、二ノ丸、三ノ丸などの郭だけでなく、侍屋敷はもちろん、町人、職人の城下町まですべてを含めて城内とした。外郭までを堀、土塁、石垣で防備する構えを持つ、日本では珍しい城郭都市を形成していた。

 秀吉が築城した大坂城(大阪市中央区)を凌(しの)ぐ規模だった。『北条五代記』には、小田原城の最も盛んな時期は、「東西五十町、南北七十町、周囲五里」と記されている。

 だが、秀吉軍は北条氏の想像を超える大軍で小田原城に向けて進軍してきた。動員された兵力は、総勢21万人という日本戦史上かつてない規模の軍団であった。

 秀吉軍は当初、小田原城の支城を次々と攻略する。また、小田原城の周囲に水も漏らさぬ大包囲網を敷き、物資の補給路を遮断する作戦に出た。

 

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